それまで燃えに燃えていて充実感を得ていたことから離れたら、「なんであんなに燃えたのだろう?」と馬鹿馬鹿しくなることが何度かあります。
私の元々の専門は理科教育学です。大学は理科コースで採用されました。初等理科教育学という必修科目を担当しました。授業では学生が発表する形式です。全学の学生が班に分かれて発表練習をするのです。私は定時制高校で鍛えたバリバリの一斉指導テクニックを伝授しました。後から後から全学の学生が相談に来るので、予約はビッチリと埋まっています。
気づきませんでしたが、『学び合い』的なことをやったので学生達が盛り上がりました。学生達は休み時間や休日を潰しても準備にのめり込みます。周りの先生からは「なんであんなに学生達が真剣なのか?」と聞かれました。内心、ガッツポーズです。それが二十代後半から三十代前半の私でした。ところが理科コースから学習臨床コースに学内異動することによって、理科教育学の講義担当から外れました。一年間はボーッとしていました。しかし、「なんであんなに燃えたのだろう?」と馬鹿馬鹿しくなりました。
私の研究室には多くの学部学生が所属します。コースの人数が二十人程度なのに、そのうちの5,6人が西川研究室を希望しました。ところが最近は0人です。理由として考えられるのは我がコースが超人気コースになったためだと思います。1年から2年になるときコースに分かれます。設立当初は4人しか希望しませんでした。その後も馬鹿にされるコースでした。しかし、徐々に実力が理解されるようになりました。本学には17のコース学部があるにも関わらず、全学の4分の1が希望するコースになったのです。成績上位者が優先されるので,最近は成績上位者のみが入ってくるようになりました。結果として、現状の教育にフィットする子達が入ってくるのです。考えてみれば5,6人の子どもが入った当初は、西川ゼミでしか生きられないような子達が多かった。そのような子どもが皆無になったためと分析しています。現在は学部生に関しては、出来の良い一人の学部学生のみを指導しています。教師としては恥ずかしいのですが、「本当に楽で、気分がいい」です。
そもそも本学の場合、授業や学生指導に対してびた一文も給与手当に影響を与えません。実際は授業や学生指導に持ち出しが多いです。昇任にも関係しません。そういうシステムなのです。ならば苦労しなくてもいいなら、苦労しない方がいい。と思ってしまいます。「いかんいかん、そんなことでは腐ってしまう」と自分にむち打ちます。
でも、コロナでご苦労されている皆様には申し訳ないですが、この1年、本当に楽です。
追伸 大学院生に関しては、かなり味わい深い学生達を二十人以上指導しています。これはこれで楽しいですが。