文部科学省が「個別最適化した学び」と言うとき、必ず「公正に個別最適化した学び」と書きます。多様な子どもが誰一人取り残されることなく未来の社会で羽ばたく前提となる基礎学力を確実に身に付けるととともに、社会性・文化的価値観を醸成していくことが必要であると考えているのです。
まあ、一見妥当性のある言明のように思えます。しかし、一人一人が個別最適化した基礎的な学力があるとは考えていません。工業化社会の遺物である規格化・同時化した基礎的な学力があると考え、それが学習指導要領です。でも、研究者として断言します。いままで、実証的データに基づいて基礎的・基本的な学力を同定した研究はありません。
脱工業化社会において金太郎飴のような人材は不要です。そのような能力は人工知能にとってかわられますから。スマホ検索が可能にしても成り立つ定期テスト、入試試験の問題が何割あるでしょうか?
方法も同じです。何故か、ICTを利用すれば魔法のようにあらゆる問題が解決できるように思っているようです。そんなことはないことは職場で働いている方だったら自明でしょう。なによりもブラック勤務が問題となっている教員だったら。
そもそもICTを利用すると言えば、全員に1台を渡し、必ず使わせると考えます。使わないという選択肢を与えることはないでしょう。
子ども達は既に脱工業化しています。その子ども達に工業化社会の論理で一律の学習内容を一律な方法で与えようと思います。ICTを使うのがSociety5.0だと思い込んでいるようです。違います。工業化社会のコードを捨て、真逆のコードにシフトすることがSociety5.0への移行なのです。
繰り返します。子ども達は既に、同時化、規格化を脱却しています。