久しぶりに文部科学省の発信した情報を読みました(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/mext_01491.html?fbclid=IwAR1UfhSm8NGhX6HBBRSdUJPzHyl_33eEiGA7UaQQsJhYjCZpDDBDFLPeIes )。苦笑します。
各文の最後は「必要である」、「重要です」、「求められています」、「大切です」なのです。つまり、「やりなさい」です。
言っていることを否定するつもりはありません。必要であり、重要であり、求められており、大切です。しかし、それを実現するためにどうするかのヴィジョンが見えない。ようは、先生方、頑張ってねという無責任を感じます。
私の脱力感を、少し丁寧に説明します。
そもそも文部科学省の持っている本質的な権限は、予算(即ち人員配置)と教員免許と時数管理だけだと思っています。具体の内容と方法は校長の権限です。学習指導要領を読めば分かりますが、実にぼやーっとした内容で、何とでも解釈できます。多くの人が誤解しているのは、教科書や教師用指導書に従わなければならないと思っている点です。それらには法的拘束力はありません。
それではどうやったら実現できるでしょう。
まず認めなければならないのは、文部科学省が何をやっても言っても、圧倒的大部分の教師・管理職・保護者は変わりたくありません。それを前提とすべきです。だから、やろうと思う人がやりやすいようにすることに徹すれば良いのです。注意すべきは、その単位は一人一人の教師です。もし、学校単位で考えれば、同僚・校長は変わりたくないのですから潰されます。
例えば、タブレットを配布する場合、一律に配布するのではなく、タブレットを活用したいと願い、それに対する計画もある教師が、その内容を申請書にまとめ審査を受けて配布を受けるのです。でも、規格化・同時化のコードに支配されている文部科学省はそれが出来ません。そんなことをすれば格差が生じると思うのです。でも、使わない教師にタブレットを渡しても使いませんから。
やろうとしている教師を守ることをして欲しい。簡単に言えば、やろうとしている教師のやりたいようにさせるのです。まあ、これも無理でしょう。コロナ渦という緊急事態であっても、昔ながらの授業に拘った組織ですから。
じゃあどうしたら個別最適化した教育を実現できるか?
第一に、時数の管理を緩めるのです。具体的には高校の全日制も、義務教育も、通信制高校と同レベルにするのです。
第二に、授業でスマホの利用を許すのです。平成21年1月30日付けの文部科学省「学校における携帯電話の取扱い等について(通知)」によって、携帯電話は学校への持ち込みは禁止になっています。それを逆転して、携帯電話の学校持ち込みを積極的に奨励するのです。もちろん、それでも学校は禁止しようとするでしょう。でも、通知によってやろうとする教師・学校の後ろ盾になれます。
でも、文部科学省や都道府県教育委員会は絶対に出来ません。クリステンセンが述べたように、市場占有者は現在のユーザーに責任を持っているからです。
ということで結論から言えば、何かをなそうとする教師の方々は、文部科学省や都道府県教育委員会の発信する情報を聞き流して下さい。どうせ、次の時代の教育につながらないものですから。皆さん達の試みの中に次の時代に繋がるものがあると思っています。
追伸 ということで久しぶりに文部科学省の文章を読んで、本当に時間の無駄でした。