水の中の生物は、自分たちが水の中にいるとは意識しません。しかし、水の外にいる生物から見れば、それらが水の中にいるのは自明です。我々は無意識にある前提の中で生きています。しかし、その前提を意識することはありません。だから、民俗学では、わざと自分の社会と異質な社会に身を置き、それらを記述することによって、自らの社会の前提を知ることが出来ます。
本日の朝、テレビで様々なオンライン授業を紹介していました。色々と紹介しているのですが、私はたった一種類のオンライン授業を紹介しているとしか見えないのです。
工業化社会にどっぷりの人達は、自分が工業化社会のコードに支配されていることを意識することが出来ません。紹介された事例は、全て「子ども」という存在を前提としています。しかし、子どもという子どもは一人もいません。一人一人違います。だから、30人いれば30通りのオンライン授業があらねばならない。いや、一人の子どもだって、内容や学習のどのフェイズにいるかで最適なオンライン授業があります。
でも、これを想定できない。仮に意識できたとしても、どうしたらいいか思いもつかない。