研究者の最大の資質は何だと思いますか?
発想力
持続力
色々あるでしょう。でも、一番大事なのは指導教員を選ぶ能力なのです。おそらく、それで決まります。
多くの秀才は、それで決まります。正しく導き、その人の特性に合った道を本人が選べるような人に指導されるならば成功します。
数少ない天才はどうでしょう?
天才であっても、指導教員から邪魔されれば、大変です。すみませんが20代の天才を潰すだけの50代の教員はあります。指導教員から邪魔されても生き残れる天才はごくごく希です。
ですので、秀才でも天才でも、指導教員選びが大事です。
では、どうすればいいか?
実は、とても簡単です。
今は、各教員の業績がたやすく調べられます。そして、弟子がどこに就職したかも分かります。
凡庸な教師は自分のレベルに近づけることは出来ますが、自分の能力を超えたゼミ生を自分の理解できるレベルに押しとどめます。それを拒否するゼミ生を拒否します。
凡庸な教師は自分が生き残ることに精一杯です。ゼミ生の就職のための政治は出来ません。
研究者の指導者選びは簡単です。
でも、教師となろうとしている人の指導者選びはもっと複雑です。
2年間の付き合いです。その人にとって大事な2年間だし、私にとっても2年間。
だから、「私」は30年以上の大学教師人生でゼミへの勧誘は一度もしたことがありません。大学院への進学は勧めたことがありますが、ゼミへの勧誘はありません。何故なら、とても大事なことだから、私には背負いきれないからです。そして、本学に関してゼミ生指導することに関して一文もメリットがありません。多くのゼミ生を指導しても、私の給料は一文も増えません。そして、ゼミ生が多いと出費が多くなります。教師だから所属したいならば拒否しません。そして、私のゼミを魅力的だと思ってくれれば、嬉しい。
でも、まあ、背負えるとしたら、ゼミ生集団だと思います。彼らが自分にとっての得を考えて行動するでしょう。
本日、大学院試験の合否が発表されました。
ある現職教員の方が2年間の休業制度で大学院進学を選び合格しました。先ほど、合格のご挨拶をいただきました。2年間で1千万円以上の遺失利益です。それに見合う学びを得て欲しいと願います。
本学の教員はそれだけの責任を負っていると背負っているので、私は誘いません。
その中で決意する人もいることに敬意を思います。私には出来ない。