ゼミ生と話すと大爆笑することは少なくありません。
昨日はオンライゼミ(https://bit.ly/3lMsgHn )がありました。そこでデジタル庁が打ち出した学習履歴など教育データの利活用(https://www.jiji.com/jc/article?k=2022010700532&g=eco&fbclid=IwAR2D365TzLdNw8zKQ4KYi1BzP2b5ZdsJZlVKQBfwBLXEriCntDppcsF2UmE )をどう思うかを聞かれました。デジタル庁という言葉が出たとたんに私が大爆笑したので、その方は「先生がどう思われているかは分かりました」と言いました。私は以下のように語りました。
「緊急提言eポートフォリオ構築法」(https://amzn.to/3JSBA6I )で書いていることを理解しているならば素晴らしいけど、おそらく理解出来ていないだろう。それが証拠に「学習履歴」や教育データの一元化を目指している。まあ、この先にある最善は、ビックデータに基づき学習支援を考えるぐらいが工業社会人の考えられる最善だろう。文部科学省はせいぜい、大学入試レベルの理解しかないから、いつも通りに大コケした。
本当に個別最適化を目指したならば、学校が主体になるのではなく、学習者が主体になるべきだ。デジタル庁はクラウド上に様々なデータを保存できる場を提供し、子ども個人個人に使わせる。そことのデータのやりとりのプロトコルの規格を定め、それを学校を含め公開する。そこに連携を取らない教育機関は淘汰される。教育委員会が命令するのではなく、顧客である子ども・保護者から捨てられる。
私の本で書いたけど、実は現在のFacebookでも十分に機能する。ただ、Facebookはアメリカの法の縛りの中にあるため、13歳以下の子どもが利用できない。さらに、16歳以下に対する規制をする動きもある。しかし、真に個別最適化した能力で生き残ろうとしたら、出来るだけ早くからエビデンスを積み上げ、自らのストーリーを構築する必要がある。
ま、アメリカでさえ規制していることを、日本の行政が出来る可能性は「0」でしょうね。
ということで、分かった人は、デジタル庁に頼るのではなく、保護者の判断でSNSを子どものツールと利用する方が現実的です。
脱工業化社会の姿を持っている私には自明なことなのです。もし、興味があったら先に挙げた本をお読みになって、我が子を守って下さい。
なお、最後にゼミ生は「頼むとしたらベネッセですか?」と言ったので、再度大爆笑して、「私だったら断るね。どうせ大コケするのは自明だから。文部科学省から失礼極まりない不義理をされたのだから。」と言いました。