私の思考方法を定めたのは高校教師時代です。
暴走族相手に物理を教えるという究極の状態を大学院での若造が求められた。それも学年1クラスの定時制高校です。つまり、全て新作の授業を毎週つくらねばならない。今思い出しても、気が遠くなる。
が、一方、先輩方には恵まれました。小さい所帯の職員室ですが、多くの先輩が可愛がってくれました。私を「西川先生」と呼ぶのは校長だけです。教頭は「西川さん」でした。それ以外の先生方、事務の方(全日の事務の方も)は「純ちゃん」でした。職員会議でもそうでした。
最低でも週1回は、多いときは5回、先輩に驕ってもらいました。もちろん、最初の1時間は従順な後輩ですが、それから2時間以上愚痴を聞いてもらって、アドバイスをもらいました。
暴走族相手の物理なのですから、大変です。が、先輩のアドバイスを毎回試しました。演技もしました。でも、しばらくすれば本心で可愛くなりました。そうなると、「楽」になりました。教材、話術が必要なくなり、単に子ども達と絡めればいいだけです。
授業も、校務でも楽になっても、最後に残ったのは子ども達の本当の幸せを実現できない自分への慚愧です。出口無く自己憐憫していました。幸い30年たって、出口を見つけました。
ゼミ生はいまから現場に行きます。残念ながら、私のような職場に恵まれるとは限りません。ゼミ生が今、普通の享受している環境から、次の環境に移行します。心配です。ま、可愛がられる若手に必要なこと、仲間の繋がることは分かっていると思います。だから、安心しています。が、セオリー通りです。ようは、生き残れるか否かは、私以外の人とつながれるかです。そして、つながれないメンバーと繋がるかです。