ある方から朝一番に以下のメールが来ました。
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おはようございます
ご無沙汰しています、○○です。
一点西川先生の考えをうかがいたいことがあり、メッセージを送らせていただきます。
これからの教員は、何に時間や労力を費やすべきか、ということです。
感染症対策、急速に進んだ一人一台端末の配備、、、
結局はやることが増えただけで、効果はあるでしょうが、コスパを考えると非常に悪いです。
今の公教育のシステムは富国強兵時代の流れにできたもので、このシステムの中では何をやろうとだいたい想像した通りの結末。
オワコンだと感じてしまいます。
そんなシステム下の公教育なわけですから、そこで行われる授業づくり、学級経営、どれもあまり興味がもてなくなってしまいました。
目の前には子どもたちがいますから、これまでに学んだことや実践してきたことを生かし、彼らには少しでも良いものを、とやれるだけのことはやっています。
しかしそれもまた、これまでの貯金を切り崩しているような感じで、なかなか自身の成長を感じられないのが苦しいところです。
自分自身も『学び合い』セオリーで動き、職場に還元できることはやりつつ、子どもたちにもそうしたメリットを各所で伝えていく。
コスパの悪いことはやらず、なるべく勤務時間を延長させない。
こんな働き方で良いものかと。これをあと何十年続けていくのかと。
なんだか熱意も冷めてしまいそうで、そんなマインドで教員をやっていてもいいのかと。
これからの教員は何に時間や労力を掛けていくべきか、悩みます。
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この方は「知恵の実」を食べてしまったのです。世の中の仕組み、流れを知らなければ、愚痴を言いつつも、「そんなもんだ」でやり続けられます。しかし、世の中の仕組み、流れを知れば、自分がしていることの馬鹿馬鹿しさが分かるので、虚しくなります。
私も経験があります。
大学に異動して、色々な不満がありました。しかし、「そんなもんだ」という集団の中にいれば、「そんなもんだ」と納得できます。
しかし、私を可愛がってくれた先生が副学長になり、私に色々な大学レベルの仕事を任せてくれるようになりました。その方が学長になり、さらに大きな仕事を任せてくれるようになりました。次の学長も私に頼りました。
その中で事務の人と一緒に仕事をして、多くのことを学びました。その結果分かったのは、「そんなもんだ」は「そんなもんだではない」ということが分かったのです。いくらでも改善できることが分かったのです。同時に、それが出来ないのは、多くの人の思い込みと、小さな既得権益であることを分かるようになりました。そして、とてつもなく非効率で時代遅れで馬鹿馬鹿しいことであったのです。
最初は怒りに近いものを感じました。特に、思い込みと既得権益の壁が強固であることを知る度にです。
私は二つのことをしました。
第一に、くだらないこと、意味の無いことには限界まで力を注がなくなりました。例えば、どうでもいい書類は昨年度の書類の日付を変えて提出します。あらたな書類が来たら、事務の人にポイントは何かを聞いて書類を書きます。そして、来年以降は日付を変えて提出します。意味を見いだせない活動に関しては、最低限のお付き合い程度にします。このことを徹底させれば、仕事量を激減できます。
第二に、自分の出来る範囲のことを変えました。自分の行きやすいコースを新設し、専攻を新設しました。これが出来たのは法に関して知っているからです。
本質的な改革は出来ません。しかし、凡人であっても、みんなでやれば改革の速度を速めることが出来ます。具体的には工業化社会の教育を破綻する速度を速めるのです。破綻すれば、否応なく脱工業化社会の教育にシフトせざるを得ません。では、どうしたら早められるか、それは知恵のみを食べた人を増やすために、自分の出来ることをやり続けることです。