今日は酔いました。だから、書くべきではないかも知れないことを書きます。まあ、あとは野となれ山となれという年ですから。そして、守るべき人に被害がないための手立てはやりました。
本学の教職大学院の制度設計は全て一任して貰えました。時の学長は、私は結果を出すことを知っていますから。数年の間、書類の量だったら、人の腰まで来るほどの書類を書きました。
私の一番大事にしたのはスタッフです。懇意の別大学の教職大学院の人からは、「とにかく先生方を取り込んで人数を増やせばいい。その人が退職すれば、いい人をとればいいから」と言われました。私は心の中で、「組織は自己再生産することをこの人は知っていない」と思いました。結局、その大学の教職大学院は、初期メンバーの再生産になりました。
だから、時の学長から、「この人もメンバーにしたら」と言われるたびに、「いりません」と拒否しました。「この二人をメンバーに入れたら、お前がいい人を一人増やすから」と言われたら、「だったらいりません」と拒否しました。その後、「私は結果を出しますが、嫌だったら学長が計画をして下さい。私は手を引きます」と脅しました。結果、私の案が通りました。色々やりとりしている中で、学長が、この人はいい、と断言した人がいます。私は知りませんが、私の性格を知った学長が断言したのだから信じました。
結果として、私の弟子の比率は高くなります。でも、学術と実践の両方の業績を持っている人が日本に殆どいないからしょうがありません。ある方より、情実で人事を起こしているとやんわりと言われました。が、微動だもしません。今の結果から事実に基づく人事であることは明白です。
私の不安は、私と同じように、人事を考える人、戦える人がいるのかな。
私は後進に対して責任を負いました。私を教授にしてくれた戸北先生・二谷先生以上に。
この記事の読者はまあ、8人ですね。