ゼミ生から言われて、落ち込む言葉で、でも、誇りに思う言葉があります。10年ぐらい前のゼミ生からは、「○○研究室の人は、○○先生のようになりたいと思っていますが、西川ゼミの中で西川先生のようになりたいと思う人はいません」という言葉です。この表現には様々なバリエーションがありますが、趣旨としては同じです。
ところが、5年弱前から変わっています。
ゼミ生が私に興味を持っているのです。(今から書くことに引かないで下さいね。極めて健全な関係です)
ゼミ中にゼミ生から「先生のパンツの色は何ですか?」と聞かれたのです。ドン引きしました。私は「馬鹿野郎、還暦過ぎた指導教員に聞くことか?」と言いました。そして、まわりのゼミ生に、「興味ある?」と聞くと頷くのです。たまたまいた、現職院生に聞くと、興味あるとのことです。脱力します。
色々聞くと、とにかく知りたいようです。
オンラインゼミも、オフラインゼミも、質問の多くは『学び合い』ではなく、生き方です。
どうやら、ゼミ生達は『学び合い』の実践方法ではなく、私の生き方を知りたいようです。なんで、このオッサンは幸せそうなのかを?を知りたいようです。バカだと思いますが、その一つとして、私のパンツの色なのでしょう。
昨日、ゼミ生と馬鹿話をして、ゼミ生の彼女の写真を見せろと言ったら、奥様の写真を見せてくれたら見せるとのこと。それは研究室の天井に張っていると言ったら、それをみせてくれたらみせるとのこと。で、みせてもらいました。それから、大分馬鹿話をして、「しゃあ、帰る」と言ったら、研究室に行きたいと言ったのです。そうしたら、その他の学生達も私の研究室に行きたいと言い出しました。
しょうがないので、研究室に入らせました。ゼミ生達からは、「これは何?」の質問が連続します。家内の写真と関係なく。私としては、さっさと帰らせたいのですが、なかなか帰りません。私は、「どうでもいいこと、なんで聞くの?」と思いました。ま、彼らは私は幸せそうで、そうなるためのポイントが知りたいのでしょう。その様子はファンです。私は推しです。
昔のゼミ生は、私の授業方法をまねたいとは思わなかった。今のゼミ生は私の生き方をまねたいと思っているのだと思います。
私の教師としての最終形は、ここかもしれません。本に書きましたが、『学び合い』は生き方です。その生き方を実現できたら、な~んもしなくても『学び合い』が成立します。ただし、生き方を理解するには、私の本だったら、『学び合い』を一言も書かない本を読み理解したいと駄目だろうな。
それにしても25歳に教師になった私には理解できないレベルに達したことを喜びます。できすぎです。ま、学びたい人は、私よりもっと早く達成できるでしょう。
追伸 大学院で2年間、みっちり指導した人が、今、オンラインゼミで学んでいます。ま、あのときより、私はバージョンアップしていますから。