ネットサーフィンすると、私が考える部活の最終形態と近い意見の方が発言されました。嬉しくなって読みました。が、私と決定的に違うことがあります。
それは改革の主体者は誰かという点です。
明治維新や大戦後のように、全体性が破壊された状態ならば、行政が改革を推進できます。が、それ以外は行政は改革できないのです。もちろん、専制国家の場合は行政が改革が出来ますが、その改革が「当たり」かどうかは分かりません。過去の歴史を振り返れば、専制国家の改革の圧倒的大多数は「はずれ」でした。では、改革はどうしたか?
規制の隙間を数多のイノベーターが数多の試みを行い。その中で正解が生まれるのです。つまり、行政のシステム作りではなく、規制緩和がポイントです。
私のウオッチャーの方に申します。行政の発信に関して、自らがコントロールしようとしているか、規制緩和しようとしているかをチェックポイントとして下さい。前者は頓挫します。だって、そうしたくない、おじさま、おねーさまが学校を動かしているでしょ。
次の本では、どうすればいいかを書きました。
追伸 言語活動の重視、アクティブ・ラーニング、入試制度改革、どうなりました?行政は改革できないこと、事実として分かるでしょう。文部科学省が何言っても聞き流せばいいのです。おじさま、おねーさまが潰します。