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変えられても

 本日、オンラインゼミがありました。殆どは授業に関係ないことです。例えば、遺産放棄すべき基準、投資の仕方、生き方等々。その中で若い教師(元ゼミ生)の質問が多くの方に分かりやすいし、共感できる質問でしたので紹介します。

 質問は「先生は教師は子どもを変えられないから、集団を変えるべきと言われますが、子どもを変えられることもあるのではないか」というものです。私の返答は以下の通りです。

 

 当然、変えられるケースもあるだろう。しかし、可能性はかなり低い。三十人の子どもの中に変えられる子どもがいる可能性と一人の教師が変えられる可能性を比較すれば自明だよね。第一、教師が変えられる場合は問題は表面化する以前に解決しているから意識化することもない。

 仮に変えられるとして、変えるべきではない。(この部分が、一人人に寄り添うべきだと思っている圧倒的大多数の教師には理解不可能です)

 一人を変えることはとても時間と手間がかかる。一人に時間を費やせば、他の子どもを見捨てることになってしまう。我々が時間と手間をかけるべきは家族だよ。では、どうするか?それはみんなで変えるんだ。みんなで変えれば、時間も手間も分担できる。そして、みんなでやっているので「何で私が」と思うこともない。

 でも、苦しんでいる子どもがいるとき、それに何もしないことは自責の念を持ってしまう。何もしないのではなく、やるべきことをちゃんとやれば自責の念を持たなくても良い。自責の念を持つならば、そのエネルギーを『学び合い』による実践に費やしなさい。支え合う集団を創れば、結局はその子を変えて、救えるのだから。