昨日の午後9時半からオンラインゼミがありました。色々な質問がありましたが、間髪入れずに応えられます。『学び合い』の考え方は普遍的です。
その中で応えたけれど、自分自身がしっくりしないレスがありました。
それは簡単に言えば、幸せとは何ですか?、という質問です。いかにも西川ゼミでの質問です。
伝聞レベルですが、漢字の成り立ちから言うと幸せとは苦しみからの解放です。だから、「嫌な選択を選ばなくて良いこと」と応えました。この応えに対して、自分なりに納得しています。
大学教師はのんきに見えるかもしれませんが、かなりハードです。小中高の先生の場合、一生涯教諭と思うならばいくらでも尻をまくれます。しかし、大学教員はそうではありません。大学教員では、一生涯、助手という人もいます。(そもそも一生涯非常勤の人もいます)。経済的には桁違いです。また、色々と嫌がらせをしようと思えば出来ます。このあたりは「白い巨塔」という小説があります。幸い、私は高校教師時代から直属の上司に恵まれていました。私の一生涯において、一言半句も否定的なことを言ったことはありません。しかし、それでも早く教授になりたかった。経済的理由もありましたが、ゼミ生を私が守りたかった。残念ながら私を潰せないとなると、ゼミ生をいじめるような人はいますから(本人は自覚はないかもしれませんが)。
それもあって狂ったように論文を書きまくり、本を書きまくりました。その結果、多くの業績を上げました。そして最年少記録で教授に昇任しました。一つ一つの論文・本が出版されるたび、その結果として教授になったときは嬉しかったです。しかし、そのうれしさの賞味期限は1ヶ月程度です。長らく、不安の中で戦った結果として、その解放がありました。だから、オンラインゼミ生に語りました。
が、なんかしっくりしません。何故かと言えば、持続的な幸せではないのです。
本日も、家内と晩酌をしました。しっくりしました。
Hさんへ
幸せとは「今日と同じ明日を願うこと」です。
追伸 結局、『学び合い』の奥義とは、幸せを語り合うことだと思います。そこには『学び合い』の根幹があります。