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理科人

 私は上越教育大学の理科コースに採用されました。当然、ゼミ生は理科の教師です。それから理科に拘らない、全教科の学生を対象としたコースに異動しました。結果として、理科教師以外のゼミ生を初めて受け入れました。

 そこで気づいたのは理科教師は飲み会で、延々と理科の教材を話題として、楽しく飲み続けるのです。それについて行けないゼミ生の様子で分かりました。考えてみれば、当然かもしれません。人文系、実技系の場合は扱っている題材が広がりすぎています。例えば、源氏物語で盛り上がれる国語教師の中で一部でしょう。逆に、数学の場合は狭すぎで個人の色合いがない。

 そんなことを20年前に気づきました。

 来週から牧野富太郎を主人公とした朝ドラマが始まります。私は学部では生物物理学を学びました。植物分類学には縁遠いです。でも、牧野富太郎の植物図鑑を知らない同級生はいないと思います。

 学部の同級生のメーリングがあります。その中で、朝ドラが話題に盛り上がっているのです。その人達は、その時点での最先端の生物学を学び、就職後も最先端であり続けた方々です。でも、牧野富太郎で盛り上がっています。

 分かります。

 あるとき、ぼーっと大学内を歩いていると、雑草を見ている他ゼミの学生がいました。その学生に近づいて、その雑草、その周りの雑草の蘊蓄を語り始めました。そうすると30分ぐらい話していました。その学生は私を理科教師とは認識していなかったと思いますので、ビックリしていました。

 理科人という人種があるのだと思います。

 今でも生物学を探究している感覚があります。学習を主体としているホモ・サピエンスの生存競争を研究しているつもりです。それが『学び合い』であることは、理論的に語れます。