教え子にして上司のMさんとの馬鹿話です。
Mさんに、「何か問題を起こして、事務の方から叱られたらM研究室のゼミ生だと言うようにしているよ」と言いました。そうするとMさんは、(西川研究室のゼミ生だと思ったので)「西川先生の写真を床に置いて、それを踏むように言えば分かる」とのこと。私は爆笑して、少なくとも我々の組織の院生だったら、西川ゼミ生は踏める。それ以外のゼミ生は践めない。
私はいつもニコニコしています。でも、黙っていると怖いそうです。私は単にぼーっとしているだけのことですが。これは三十年以上前のゼミ生からも言われたので、そうなんでしょうね。でも、私の顔は怖い顔ではないと思うのですが。みなさん、怖い顔ですか。
これが年を重ね、実績を積み上げると、もっと酷くなります。私を本やSNSで知っている人は、私は怖い人だと思う傾向が強まります。
しかし、ゼミ生は私が単なるおっさんであることを知っています。写真を踏んでも気にしないし、それ以上のことをしても気にしないし、事実、それをやりまくっています。
でもね、私の怖さを知る人は本当に少ない。私が研究者のモードになり、研究者の卵と接するときに怖さは知る人は少ない。もちろん、怒鳴りません。穏やかに全方位で雪隠詰めにします。そして、そのような研究をしている姿勢について設置詰めにします。ニコニコとね。これは博士課程で私に関わった人だけが知っています。
でもね、それ以上の怖さを知っているのは、まあ、戸北先生でしょうね。それ以外は知らない。学生さんのために、この教員は害だと思ったら、半年から2年かけて、じっくりと潰します。憎いという気持ちは殆どなく、淡々と詰め将棋をしているようなものです。(ただし、この二十年はないです)
ということで、私の怖さを知らず、どうでもいいことを怖いと思い込んでいる人たちと付き合うのは、面倒くさいです。
だからゼミ生との会話は楽です。