本や講演会を通して私を知った『学び合い』の実践者も、『学び合い』を蛇蝎のように嫌う人も、私は凄い人(いい意味でも悪い意味でも)と思われています。ゼミ生に対して、私の姿をさらしています。その結果として、私はいつもニコニコしている気のいいおっさんであることを知っています。しかし、そのゼミ生であっても、私の業績を知っているので、凄い人という意識は残っています。そのため「西川先生には出来ても、私には無理だ」と考えます。
今日のゼミでもそういう雰囲気になりました。そこで以下のように語りました。
私:君たちは私が何をしているかを知っている。私がやっていることの中で君たちが出来ないことがある?
ゼミ生:(首を振る)
私:もし偏微分方程式を解くことが必要だったら、私だけが出来、君らは出来ないだろう。しかし、わたしのやっていることは君らに出来ることだ。ただ、誰でも出来ることを私は40年続けている。その結果が私の業績に繋がっている。だから、今すぐ始め、やり続けること。「出来るか、出来ないか」ではなく、「やるか、やらないか」、そして「やり続けられるか」だよ。私はとても幸せそうだよね。だから、君らの質問の多くは「西川先生は・・」で始まる質問をする。私のように幸せになりたいなら、やりなさい。
ちなみに、私の毎日やり続けていることとは、「関わる人に関して、家族に迷惑が及ばない範囲で誠実に関わる」(私にお悩みメールを送った方だったらおわかりですよね)」、「今より良い状態になると思えることをやり続ける。(例えば、SNSの情報発信を続ける)」です。