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次の次の次

 ゼミ生は次の教育は分かっています。それは工業化社会のコードにガチガチに縛られた1条校を捨てる子ども・保護者が急激に増え、フリースクールや広域通信制に移行する社会です。行政の中には、その流れが分かって、不登校特例校を学びの多様化学校にしたり、フリースクールの公的認定制度が生まれました。私がその未来を書いたときより、数年で変わりました。私の理論では予想通りですが、私の常識はビックリしています。次への移行、つまり、フリースクールや広域通信制を普通の子どもと保護者を選択する未来まで、長くても10年、まあ、5年ぐらいで来るでしょう。

 ゼミ生たちが知りたいのは次の次です。それは、上記のフリースクールや広域通信制が捨てられる社会です。工業化社会のコードのくびきから逃れられたら、ホモサピエンスの本来の学びに回帰します。即ち正統的周辺参加(https://amzn.to/3TIBtB6)に戻ります。即ち、職業と学びが一致するのです。一人一人の子どもがなりたい自分になるための勉強をするのです。学校は、その子達にコンテンツを提供し、半年単位の経験をさせます。ただし、今の職業体験と異なり、実際の給料が生じるレベルです。もちろん、子ども達の進路は様々です。ただし、大多数の子どもの未来は中学校区レベルの範囲で完結します。もっと具体化すれば、地元の企業にアルバイトに入るのです。そのような経験を積み上げて、自分の就職先を見つけます。もちろん、都会の大学でしか学べないことを武器にしたい子どももいます。その子どもの場合は、その学問のコミュニティに参加するのです。例えば大学の研究室とZoomで繋がるのです。

 一人一人が学ぶことはバラバラ。となると、普通の工業化社会の人たちは、自宅で一人で学ぶ姿を想定します。しかし、バラバラの学びがあったとしても、一緒の空間で学ぶのです。その意味がないと思うのは普通でしょうね。でも、私は知っています。今から30年前の研究です。ある政令指定都市で『学び合い』の研究をした事例です。その政令指定都市でのバスケットボールの代表チームメンバーになっている子どもが、バスケットボールに関して他の子どもからアドバイスを受けていたのです。信じられますか?アドバイスしたのは野球を頑張っている子どもです。その子が野球チームでの経験を語っていたのです。

 これは私には当然です。私の元々の専門は理科教育学です。その世界には、「惚れ惚れと思える優秀な人」がいるのです。その人は諸外国文献を易々と読み解き、それを論文にしています。私には無理です。しかし、理科教育学に関連するかも(大きな本屋で理科教育学の棚の隣の隣)の棚の本を読むと、理科が教育学では一般的ではないが、極めて有用な情報にあふれています。それをもとに大量に学術論文を量産しました。大学院の同級生から「どの学会誌を見ても、お前の論文が載ってる」と言われました。

 ということで異質な人の関わりは有利だと言うことは分かっています。

 だから、次の次はとても有利です。

 工業化社会の人が分からないのはそのような集団の中で教師の役割はないか、共通に学ぶべきことはですよね。

 簡単な方から。学ぶべきこと、共通で学ぶべきは育児と介護です。だから、保育園と老人介護施設との併設が基本です。AIとロボットがいくら発達しても、育児と介護は人がやることの方が効率がいいです。

 その学校では、子ども達がどの先生の「集団」に属したいと選びます。その先生ではないのです。属した集団の中で、自己実現をするのです。

 それを聞いたゼミ生がぽかんとしていたので。

 西川研究室はそうでしょ?と言いました。「あ」という顔をしたので。にこりとしました。

 ちなみに、次の次の次もイメージしています。クビにある機器によってネットワークに接続する世界です。こうなったら個人という単位が無意味になります。そして、人類は身体を捨てて、永遠の命を得られます。SFですね。しかし、私の生まれる50年以上前にそれをリアルにイメージ化した人がいます。手塚治虫です。火の鳥です。

 50年遅れですが、教育の世界で私はリアルにイメージ化しています。

 という私が文部科学省、都道府県教育委員会の工業化社会のコードのお達しをどうおもっているか?自明です。