教員採用試験に合格し、4月から高校教師になる直前に、私が出会った教師の中で最も授業名人だった先生(ちなみに、その後に出会った全ての教師の中でもダントツです)に面会しました。その先生に「4月になる前に何を勉強したらいいでしょうか?」と質問したところ、落語を聞きなさいと言われました。それ以降、今まで教師の職能形成の一つとして40年間落語を聞き続けています。
もちろん素人が名人の高座を聴いたから名人になれるわけもありません。しかし、学べるものもあります。その一つに名人が何故、名人なのかということです。古典落語は話す内容は決まっています。定番だったら私でも大凡は諳んじています。しかし、同じことを語っても名人と二つ目では天と地ほどの差があります。不思議だったのですが、あるとき気づきました。
名人以外は演じているのです。その人になりきり方で、前座、二つ目、真打ちの違いが生じます。ところが名人は違います。演じているのではなく、その人になっているのです。いや、素の名人が語っているのです。だから、安心して聞いていられ、その世界に引き込まれるのです。
若い頃の私は、徹底的に話を組み立てました。どこで、どんなネタで笑いをとるかまで計算しました。クラスのメンバーを思い浮かべ、誰をいじくれば盛り上がるかを計算しました。しかし、今は違います。大凡の語る内容はあります。しかし、あとは私の思っていることを、素で語ります。だから、1時間半の講義において3行程度のメモを手の甲に書きます(そうしないと話が盛り上がると、語るべきことを抜かしてしまうので)。
私の大学教師としての講義は後2回だけです。明日、その一つがあります。気持ちよく、思いのままに語ろうと思います。あ~、楽しみ。私は本当に一斉指導が大好きだと思います。
追伸 40年間の学術的実証研究の到達点がここであることに、我ながらビックリします。