私の学部の指導教官は石坂昭三先生で、大学院の指導教官は小林学先生です。
石坂先生からは研究方法や姿勢をたたき込まれました。現在までの学術研究は石坂先生から学んだことによって成立しています。私は今も、「高度な知能と言語を持ち社会的生物であるホモサピエンス」を生物物理学的に研究していると認識しています。
一方、小林先生からは社会人としての生き方を教えてもらいました。狭くは研究者社会での生き残り方、広くは社会人としての生き方です。私は上司・先輩に恵まれましたが、それは小林先生のおかげだと思っています。
社会人の生き方に関しては「なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール Kindle版(https://amzn.to/3ZgQ624 )」、「新任1年目を生き抜く 教師のサバイバル術、教えます Kindle版(https://amzn.to/3Z2XPzs )」を書きましたが、書いてあることの約半分は小林先生から教えてもらったことです。
その中に、筆まめを勧められました。何かあったら必ず返信を書くことを勧められたのです。そのおかげで、謹呈本をいただくと、必ず御礼の手紙(今は電子メール)を送ります。これの意味が分かったのは、自分自身が謹呈本を送るようになってからです。当時の私は駆け出しです。その私が謹呈本を送ったときに、返信が来るのは2割以下です。送り先は私より年長で、社会的地位も高い方々ですから致し方ありません。
しばらくすると気づきました。その一部の方の多くは、私が送った方々の中でも年齢も、社会的地位も高い方々なのです。その方々は挨拶の大事さを理解し、それを身体化されている方々で、それ故に高い地位に昇られたのだと推測しました。
そして、送った方々は、当時の私と同様に、誰の返信が来て、誰が返信しないかをチェックしていると思います。私は若いときにこのことを学べて良かったと思っています。
最近、喪中のご連絡を送りました。本日、小林先生からの丁重なお手紙をいただきました。喪中の連絡に対して返信は不要なのに。97歳になっても、小林先生は小林先生なのだなと思い、私もシンプルな原理原則に基づく生き方を死ぬまで続けたいと思いまし。
追伸 同じことを話しても、小林先生と私は違います。品が違います。