本日のオンラインゼミで語ったことです。
教師なる数ヶ月前に、私の知る限り最高の話術の教師である恩師に会いました。その方に教師になる前にすべきことを聞きました。「落語を聞きなさい」とのことです。意外です。その方は、毎週国会図書館に行き、田沼意次を研究し続けた方です。それ故に教材研究を勧められると予想したのです。恩師は「教師は喋る仕事だから」と言われました。恩師の新任校は上野の高校で、上野の鈴本演芸場に通ったそうです。
それ以来、落語を聞き続けました。
その結果、到達した話術の奥義は、演ずるのではなく、本人になるということです。
前座、二つ目、そして凡庸な落語家は演ずるのです。例えば、大店の主人になりきるのです。ところが名人は大店の主人なのです。それ故に、全ては自然になり、説得力が生まれます。
名人は噺によって様々な人になります。私には出来ません。私が出来るのは「西川純」になるのです。そのため、嘘は言わない。そして、本気で信じていることしか言わない。それが私の話術の根幹です。