いい課題があると思うのが当然です。これは『学び合い』においてもです。しかし、私からの問いかけは「誰にとって?」です。万人にフィットする課題なんてありません。一人一人の心を動かす課題は違います。その最大公約数は「人」なのです。教師の考えるよい「課題」を押しつけると、フィットする少数者と、フィットしない大多数を生み出します。これが優秀な教師が分からない。
どうすればいいか?
教科書通りの定番の課題を与えるのです。
次です。
子どもたちに、課題を生み出させるのです。素晴らしい課題を生み出せる子どもは少ないですが、大多数の子どもは素晴らしい課題と凡庸な課題は見分けられます。
次です。
一人一人が自分の幸せを願い、折り合いをつけて関わります。
圧倒的大多数の子どもにとって、現在の学習指導要領に従って、成績を上がることに意味はありません。それは高校卒業後、大学卒業後に3割から4割が気づき、3年以内にのこりの3割、つまり2割が気づきます。
というレベルで教育を考えれば、その日の授業なんて、どうでもいいことです。
困ったときに関わっている多様で多数の知人を子ども集団に与えることです。
ということを分かると、日々の課題なんてどうでもいいことです
大事なのは、どれだけ多様で多数な人と関わり、これからの人生で大事なことを方得るかなのです。
そして、最終的には自己保全、種の保全が第一優先で、ようは家族が第一優先です。それを実現した日々をさらすのが教師の最終的な境地だと思っています。教師は授業が勝負ではなく、生き方が勝負なのです。