今日、ゼミがありました。問答しました。私との付き合いが3年の学生が、私のその日のゼミで言っていることと、実際にやっていることとの一貫性を質問しました。いろいろ聞かれましたが、説明しました。ようは、言葉のレベルでの理解だとわかりにくいものです。
そのゼミ生は、「まだわかっていない」と言ったのです。
私は爆笑して、「私が40年以上かけて到達したレベルに、何で数年で到達できると思う。授業方法レベルならば、本を読めばいい。かなり完成度が高い。でも、その一つ一つのテクニックの意味を理解するには、そのテクニックの基礎となる実証的データの理解が必要だ。(ゼミ生には、初期の東洋館の本は読ませているので、それはクリアーしています)しかし、考え方レベルはそれではわからない。例えば、『一人も見捨てない』という一言も意味深い。それだけで1時間は話せる。実は「見捨てていいんだよ」と言うと、そのゼミ生は混乱したようです。
そこで語りました。
最澄と空海の仲違いの話を知っている?最澄は密教の奥義を知りたくて、空海にある本を貸してほしいと頼んだ。しかし、空海は今のレベルでは誤解するから断ったのです。なんとなくわかります。私も多くの場合「見捨てていいんだよ」と言えば多くの人は混乱する。
でも、その先があります。
授業レベルの『学び合い』の先には、生き方レベルの『学び合い』があります。
これを理解するには、教師用図書を1000年読んでも、カリスマ教師の研修を1000年受けても無理です。メンターが幸せになりたいと願いもがき、数十年間もがき続けなければ到達できません。
今、オフラインゼミ生も、オンラインゼミ生も、私に授業レベレルの『学び合い』の質問をしません。具体的には、「クラスには○○の子どもがいて」、「クラスで○○のようなことが起こって」というレベルの質問です。そのことだったら応えられる人は多い。しかし、ゼミ生の質問のほとんどは「西川先生は・・・」で始まる日常生活の話です。
私はゼミ生に語りました。
生き方レベルを理解するには時間がかかる。禅宗では、師と仰いで数十年間問答して近づいている。オンラインゼミでは、そういう人が集っている。だから、実際のゼミ生だった人がオンラインゼミ生になっている。それは授業レベルではなく、生き方レベルを学びたいから。
追伸 授業レベルの『学び合い』だったら3ヶ月で到達しますが、生き方レベルは時間がかかります。私だって40年以上かかったのですから。それに2年以上問答しても、私の本体には到達できていないから、私に質問し続けているのです。