中学校1年頃から大学学部4年までの12年間は、いろいろなことを学び経験した。今から思い出すと、病的と思えるほどだ。冷静に考えると、私の中で1日100時間ぐらいの時間が詰まっていたように思います。これをやって、あれをやってというジグソーパズルを組み合わせ、無駄なくやり続けた。よくまあ続いたと思う。
大学院1年の4月に私の娯楽のほとんどを封印し、マシーンになって研究し続けました。やっていることは違いますが、それ以前と似ている点があります。ただ、それ以前に比べると、極めて単純化した生き方になりました。
今から3年前にその封印を解きました。そして、一分一秒の無駄なく、最高に楽しみたいと願っています。
どっぷりと楽しむという点では、学部4年以前の私に似ていますが、大分違います。第一に、自分の楽しめるものが何かがはっきりと分かったので、単純化しています。そして、若い頃は大化けするかどうか分からないものにも時間を通ししていましたが、それは無駄が多いし、今分かっている対象だけで私の生涯を満たせるだろうことが分かっているのでそのような博打はしなくなりました。同時に、最初のほうを視聴しているとどの程度かが分かるので、最高に感動しないと思われるものは途中で放棄しています。これで極めて効率が高まりました。
さらに退職後は人間関係が極めて単純化され、他者から私の時間をおかされる危険性が激減しました。その状態で段取りを考えて効率的に楽しむと、感情がバグりそうになるほどハッピーになることができます。
そんな状態の時、ふと「今、働いているんだろうな~」と思い。少し申し訳なくなります。が、すぐに楽しい世界に戻ります。
マシーンになって論文と本を書きまくっていた自分の私は、こんな状態になることを予想していませんでした。ま、これも生き方レベルの『学び合い』のおかげですね。
追伸 オンライゼミである人が「西川先生のようなおじいちゃんになりたい」と言っていました。私は「いいだろ~」と爆笑しました。