今の教育行政をリードする方々の次期学習指導要領に向けての取り組みが私のタイムラインに流れます。どうせどうでもいいこと言っているんだろうなと分かって見ないようにしていましたが、何か変わったかかしらと思って覗いたら、まったく変わっていません。今回の主張を短くまとめると、デジタル化すれば教育は変わる、というものです。失笑ものです。うがった解釈ですが、デジタル化が推進されたら「発言者」の方々は予算を獲得し、出世できるのだと思います。でも、教育は変わりません。
証明します。ドラッカーは時代を予言する方法として、既に起こったことを外挿することを紹介しています。30代以前の方々にお伺いします。みなさんが新任の時に比べてデジタル化は驚異的に進みましたよね。昔は頑なにガリ版刷りに拘る先生もおられましたが、さすがにいませんよね。年配の方もデジタルを活用しています。その驚異的な変化によって、何が変わりましたか?おそらく教育自体には変化がない。変化したのがツールぐらいです。その変化を踏まえて、今後十年、さらにデジタル化したら何が変わるのですか?ツールは変わるかもしれませんが、教育は変わらない。以上証明終わりです。
何を使うかではなく、何のために使うかです。確かにデジタル化することによって時短になります。しかし、その生み出された時間を何に使うかということの方向性が変わらないので、同じ方向性のものに使います。
個別最適化することを進めるには、学習指導要領の大幅な弾力化しかありません。でも、現在の文部科学省は絶対捨てられない。
このままの方向で学習指導要領の検討を進めると、極めて無様な結果になることが予想されます。何故でしょうか?
私の大学院の指導教官である小林学先生は文部省(旧文部科学省)の役人でした。中高理科の学習指導要領編纂の実務を取り仕切った方です。その方から聞いたことです。学習指導要領の検討の中で、ある実験を必修にする方向で検討されている時、全国の学校にその実験をするための機器・試薬があるかを確認するそうです。そして、それが足りないとき、大蔵省(旧財務省)にそれを購入するための予算を付けるよう要請したそうです。それが内諾されたとき、その実験が必修になるそうです。本省の役人は実に綿密であると感服しました。
GIGAスクールで膨大な予算を使ってデジタル化しました。しかしデジタル機器の寿命は短い。私は現場の多くではそれを使い切れず、また、補修・更新の予算も全く足りない状態が将来するであろうことを予言しました。その予言は当たりました。何故、私は予言できたのか?簡単です。私が大学院の時のCAI、CMIがどうなっていたかをずっと見ていたからです。多くの先生方にとっては、目新しい機器を使って授業するより、チョーク&トークで10年以上前のノートを使って授業する方が圧倒的に簡単だからです。昔のCAIやCMIは研究校レベルですから予算規模も小さい。しかしGIGAスクールは違います。私は財務省が文部科学省が進めているデジタル化に乗るかと言えば、乗らんでしょうね。「そんなこと言ってくる前に、前回の予算でどのような成果があがったかをもってこい」と門前払いするでしょう。
となると、予算的裏付けがないのですから、デジタル化は非常に曖昧な表現になり、やってもやらなくてもご判断はあなたたち、という丸投げになるでしょう。
私が文部科学省の役人だったら、スマホの授業中の使用を奨励する、ということをするでしょうね。しかし、それはやれない。それだと規格化した教育は出来ないから。研究者も業績構築にうま味がないから。ということで、無様に崩壊する様を「ほ~ら」と高みの見物です。みなさんも、上記のことを心にとめてください。色々とごまかしますが、結局上記のようになります。
私の注目している情報は二つです。
第一は、学習指導要領の弾力化の情報が流れたときです。おそらく例外規定になると思いますが、それで十分です。変革はニッチから生じますから。文部科学省がやらないとしたら、都道府県レベル、市町村レベルで学びの多様化校を設置し、それを理解する校長と教師を一本釣りして設置することを急ぐべきです。そうしないと非常に無様なことになる危険性は高いですよ。大事なことだから繰り返しますが、今の段階で学びの多様化校を二流の一条校ではなく、超一流校にすることが出来る教師はごく一部です。人事のルールを無視し、一本釣りで集めるしかありません。
第二は、既に起こっている、意識高い系の子どもたちが一条校を捨てている事実を、マスコミが特集レベルで流すか。それはキャズムを超えたことを意味し、そこからの変化は一気です。
それ以外の情報はどうでもいいことです。
追伸 私の考えるデジタル化は以下に書きました。https://amzn.to/4m7xDOz
追伸2 学びの多様化校は特別支援教育においても妄想します。現在の特別支援教育は、誤解を恐れずに表現すれば、三流の健常者を二流の健常者にする教育にしか見えません。しかし、それは学習指導要領という尺度に基づきます。一人一人の子どもという尺度に基づけば別な見え方が出来ます。福祉予算によって支えられる人材ではなく、日本を支えるイノベータに育てることが出来ます。
追伸3 最近、この手の書き込みがないのは、私のタイムラインに馬鹿馬鹿しい情報が流れないように整理したからです。しかし、たまに流れると血圧が上がります。ま、なるようになることはわかっていますが。