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試金石

 本日、私のタイムラインに以下の記事が流れました。

 

「自分がされて嬉しいことを人にする」

「自分がされて嫌なことは人にしない」

という教育は間違ってはいないと思うけど

「自分がされて嬉しいことでも喜ばない人もいる」

「自分がされて嫌じゃないことでも嫌がる人もいる」

ということも同時に教えていくべきだと思う

 

 とても良い記事だと思います。

 二十年以上前のことです。定常的に入って支援した小学校には、算数の時は、とにかくブロック図を使って教える先生がいました。その先生に「何故、いつもブロック図を使って説明されているのですか?」と聞くと、「この方法が一番わかりやすい」とおっしゃいました。おそらく、その先生の小学校時代はそうなのでしょう。

 多くの先生方は「子ども」という言葉をよく使います。しかし、「子ども」という子どもは一人もいません。一人一人違っています。

 私は約二十年積み上げた研究を捨てて、『学び合い』にシフトしたのは、子どもの多様性を無視し得ないことを理解したからです。三十人の学び手がいれば、三十人の教え手が必要です。それも、ベストフィットした組み合わせでなければなりません。ある人にとってベストの教え手であっても、別な人にとってベストの教え手とは限らない。いや、圧倒的に多くの場合そうなりません。その人にとってベストな相手であることを判断できるのは、当人しかありません。だから学びの主体者は個々人であるべきなのです。

 GIGAスクールの初期段階で、それを高らかに発信する学校に行ったとき、私が必ずする質問は「タブレットを使いたくない子どもがいたらどうします?」というものです。聞かれた方は困ったなという顔をして「それはだめです」と言うのです。私は顔には出さないようにしましたが(出たと思いますが)、至極、呆れました。「タブレットを使わない」という個別最適化を認めない個別最適化って本当の個別最適化だろうかと。だって、最善のデジタルツールは、自らが選択できるデジタルツールを駆使し得る仲間ですから。

 みなさんも、今度、その手の研究指定校に行ったら、「タブレットを使いたくない子どもがいたらどうします?」と聞いてください。化けの皮が剥がれるのを見ると思います。