私が教職大学院の基本設計を全面的に任されたときに大事にしたのは、理論と実践を融合した教育が出来る人「だけで」スタッフを固めることです。多くの教員養成では、理論は研究者教員から学び、実践は実務家教員(多くは県の人事交流)から学びます。そして、学生はそれらを融合せよと求められます。でも、無茶苦茶ですよね。だってそれが極めて困難だから研究者教員と実務家教員が別れているのですから。
だから、理論と実践を融合した教員によって、理論と実践を融合した知識・技能を教えるしかないと思いました。具体的には学術論文の業績があり、かつ、学校現場での教職経験があり、かつ、教師用図書等の業績があることを採用の基準としました。
ところが、そんな人殆どいないのです。学術論文の業績のある研究者教員は山ほどいます。学校現場で実践を積み上げた人も山ほどいます。しかし、両方はないのです。何故だと思いますか?それは現状の評価システムの問題なのです。
文部科学省は理論と実践の往還を声高に言いますが、評価システムは全く変えません。
例えば、私が助教授や教授に昇任したとき、私の教師用図書は全く評価の対象外でした。理由は、文部科学省が行う評価方法がそうだったから、学内の評価システムもそうなります。
一方、学校教育の評価システムにおいて、学術論文が評価されることは皆無です。
私の関わる教職大学院の採用において、私の弟子、孫弟子が多いことを情実人事と陰口をたたく人もいました。まあ、そう思われても仕方が無いです。でも、学術と実践の業績がある人を育てたのは西川研究室ぐらいだったからです。何故だと思いますか?私ぐらいしかいないからです。
わかりやすい判断方法をお教えします。大きな本屋に行って下さい。そして、教師用図書の棚に行き、著者紹介を見て下さい。9割以上は学校現場の先生方です。1割弱は大学教師はいますが、それらの方の圧倒的大多数は実践者としての能力を評価されて大学教師になったかたです。そして、学術論文の業績が全くない方が殆どです。
不遜なことを書きますが、学会賞レベルの学術業績を持ち、かつ、教師用図書の業績の多い人は、明治以来、私と佐藤学先生ぐらいだと断言します。違いますか?ただし、佐藤学先生の教師用図書は、佐藤先生の学術研究との関係が希薄です。
私は今後の日本の教育に対しては楽観的です。まあ、1条校の凋落の後に、個別最適化した教育を実現する教育の場(学校とは限られません)が生まれるだろうと思います。しかし、そこにおける教育実践のバックボーンとなる学術研究が生き残るかと言えば、極めて懐疑的です。もしかしたら現在の教育学系の研究ではなく、経営学のリーダー論や行動経済学の応用として生まれるかも知れません。
じゃあ今の教育系の学問はどうなるでしょうか?戦前レベルに戻るかも知れません。つまり、旧帝国大学にのみ残るかも知れませんが、他大学はそこで排出される人材によって教育機関として残り、研究機関としては残りません。極論と思う方が多いと思いますが、私はそう思いません。大学の専門ごとのスタッフ数は設置に関わる別表に定められています。それが10年ほど前に大綱化され、もの凄く少人数でも出来るようになったのです。結果として昔は当然いた学問分野のスタッフがいないことが常態化します。そのスタッフの資格をオーサライズする学会は衰退します。
今から20年弱ほど前に、ある学会の企画本に執筆依頼が来ました。私はそのような未来を憂いて、学会の生き残り策を提案した文章を書きました。ある学問が残るためには、学科以外の人から求められることが必須であると書いたのです。他の学問分野から論文が引用され、利用する顧客が存在する必要があります。だから、学術論文の査読者の中に外部の人を入れることを提案したのです。具体的に現場教師を査読者に入れるのです。
しかし、その本の企画者からは丁重なお断りを受けました。
私は怖いのです。私が一生をかけた教育の学術研究が失われることを。でも、仕方が無いとも思います。退職前にはさすがに書けなかったことを今から書きます。
学校現場の教師の方々にお聞きします。
教育の実証的な学術研究によって引き出された、全国レベルの教育実践は『学び合い』以外にありますか?ありません。その『学び合い』も教員養成系学部・大学という泥船の中で一緒に沈みつつあります。