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嫌われたくない

空海と最澄が決別した理由は色々ありますが、その代表的なものに最澄が「釈理趣経」の借用を願ったのですが、空海がそれを断ったのです。その理由は、最澄の今の理解のレベルだと、曲解をしてしまうからと空海が判断したからです。

 また、菩薩の4誓願というものがあり、その一つが衆生無辺誓願度(:無数にいる衆生を漏らさず救うことを誓います。)よいうものがあります。不思議だったのは菩薩の誓願であって、如来の誓願でないのです。補足すると、仏とは如来であって、菩薩はその一歩手前なのです。

 この数年、これが私なりに分かるのです。

 『学び合い』では「多様な人と折り合い、自らの課題を解決すること」と申します。その課題解決には、多様で多数な仲間が必要です。これが授業レベルの『学び合い』の到達点です。

 問題は「自らの課題」です。多くの『学び合い』実践者は、その日の課題達成でしょう。もっと長期になれば、1年後の自分でしょう。さらに行けば、10年度、20年後以上の就職、再就職、結婚等でしょう。

 ところが、その先があるのです。

 もし、家族との関係性が保たれており、経済的自由が保障されれば、「多様な人との折り合い」は不必要なのです。『学び合い』実践者に申します。もし、レベルの低い課題、つまり、好きな人との関わりで解決するような課題を与えたとき、子どもたちはどうしますか?好きなもの同士で、小さい関わりになりますよね。あればホモサピエンスの本性です。なぜなら、生物の基本欲求は自己保全と種の保全ですから。

 「一人も見捨てず」は菩薩(つまりゼミ生、子どもたち)の達すべきレベルであり、如来はその菩薩がその先に進むべき指針を与えるのが仕事です。だから、ゼミ生との会話では、『学び合い』の方法論は殆ど語りません。対話で語るのは「幸せ」とは何かであり、そのためにはパートナーを大事にすることと、投資をすることを語り続けています。

 この状態の私の発信は、多くの『学び合い』実践者に混乱を与えているかもしれません。しかし、今の状態と授業レベルの『学び合い』はシームレスで矛盾はありません。だから、授業レベルの『学び合い』に関しての質問を受ければ、具体的な方策を言えます。ただ、私の仕事はそこではないと思っています。

 が、『学び合い』以前の人たち向けの本も書いています。ま、シームレスです。多くの人を救いたいという気持ちは今も昔も同じです。

 『学び合い』によって、多くの人から蛇蝎のように嫌われました。しかし、今の私の発信は『学び合い』実践者からも嫌われるかもしれない。それが怖い。