何度も書いたことです。ただし、晩酌後に酔った私がムカムカして書いているので、私個人に興味のある方以外は、最後の部分まで飛ばして結構です。
大学院に入学した1982年4月のある日、学部時代までのただれた自分と決別するため、私は自分に殆ど全ての欲望を封印することを課しました。好きだった映画、小説、あること(聞かないでね)を封印しました。許したのは晩酌です。その結果、毎日、13時間以上、研究に明け暮れました。これは大晦日・元旦以外の例外はありません。これを60歳代まで続けたので膨大な著書と論文とその結果として多くの学会賞を得ました。研究者生活としては出来すぎです。
ところが2020年10月にちょっと封印を解き、それ以来は怒濤のように封印を解きました。私の教員人生の最終コーナーに付き合った学生さんはそれを見ています。そっからは、楽しいこと満載の時間を過ごしています。13時間の研究の縛りを解き、卒業研究発表会、学習成果報告会でも、楽しみしているコンテンツを見ています。私が発表会で涙を流しているので、他研究室の人はゼミ生の発表で感激していると思っていますが、ゼミ生の発表なんて見る必要性を感じません。ゼミ集団を信じていますから。
ちょっと横道に入りますが、今から20年以上前にあるゼミ生から「西川先生、評価とは?」と聞かれたときに、「見ること」と即答しました。詳しくはご覧下さい(https://www.jun24kawa.com/entry/2011/08/20/000000)。評価は子ども本人がするべきことであり、教師は集団を「見る」ことだと思っています。
このようになると、本当に幸せです。だって、毎日、好きなことをし続けているのですから。慌てて補足します。その状態でも、私は職場において抜群の結果を出し続けています。私ののおかげで勤務校の最大のミッションである定員充足を達成し続けており、私がいなくなった途端(正確には2年間の大学院指導が出来ない年の入学者)から激減しています。私が一生懸命しなくても、成り立たせるシステムを構築したからです。
さて、長い、長い、前置きです。
本日の晩酌の際、録画した「孤独のグルメ」を見ました。その中での「えなり君」演ずる人の言動がムカムカして引きずるのです。「人の迷惑をかえりみず、かつ、そのフォローをするつもりもない」、「人の善意に訴えて、善人から搾取する」言動です。つまり、相手を失うことの恐れがない人の行動です。恐れがないから、簡単にできる。つまり、軽く見ている。
当然、在職中にはいっぱいいた人です。そして、裏切られることに、軽く見られることに鈍感であろうと努力していました。嫌な気持ちになっても、「ま、そんなもの」と思って忘れることが自動化していました。ところが、退職後はそれが全くない。それが退職後の最大の変化のように思います。つまり、経済的自由を形成しているときは、「多様な人と折り合いを付け、自らの課題を解決すること」ですが、経済的自由を形成した後は「自分を大事にしている人と折り合いを付け、自らの課題を解決すること」だと思います。私は、子どもたち全員がこの境地に到達し、ダンバー数を基本とするコミュニティーを形成して欲しいと思います。だから、教師は経済的自由を獲得しなければなりません。すくなくとも、どうしても不快な人とは関わらないようにする必要があります。だから、多くの人からは意味不明な、https://amzn.to/3ImN5av、https://amzn.to/46FTNle、https://amzn.to/3VjOOk4、を書いています。私は面白い授業、わかりやすい授業を目指していません。自分なりに、幸せとはなにかを追求し、それを日々の授業に落とし込みたいと思っているのです。