今から30年ぐらい前に、教師の職能形成の調査をしました。方法は、現在、教師である人に、「これぞ教師の職能と思っていることのエピソード」とそれを獲得した時期を自由記述で記載してもらったのです。
その結果分かったのは、最初に獲得するのは「教材」に関する職能です。しかし、「教材」だけでは分からせられないことを気づくと「授業方法」に関する職能に至ります。たいていの人は「教材」+「授業方法」となります。しかし、一つの「授業方法」では、合う子どもと合わない子どもがいることに気づくと一人一人の子どもの特性を理解した上での方法があることがわかり「子ども理解」に至ります。この人は「教材」+「授業方法」+「子ども理解」になります。
こう書くと「教材」レベルは低レベルと思われがちですが、教職経験20年、30年たっても「教材」レベルの人はいます。しかし、「教材」レベルで高いレベルに達し、「授業方法」「子ども理解」を凌駕する人もいます。
私の調査は、ここまでですが、教え子で同僚となった桐生さんはその次の段階を明らかにしました。郡市レベルで数人の人は個人ではなく集団レベルで物事を考えられるのです。そうなると、そのレベルに達していない人には気づけないことを気づきます。だから、大きな授業研究で、話題の方向性を一気に変えることが出来る人です。
『学び合い』は「教材」レベルも危うい新米教師が「集団理解」レベルに到達する道を明らかにしているのです。
これは多くの尊敬すべき教師にとっては、破壊的です。何故なら、それまでの数十年で積み上げたものを、若造が乗り越えられる道を示すものだからです。だから、必死になって否定するのは当然です。結果として、私は多くの人から嫌われました。ネット上には「日本の教育を破壊するもの」とさえ表現されたこともあります。しかし、それを書き込む人を否定する気持ちにはなれません。それだけ強く反発する人は、それだけ教育実践に真摯に向き合い続けた人ですから。凡庸な教師は反発しませんし、そもそも『学び合い』の存在を認識しません。
私は多くの方々に安全に『学び合い』を成立するための手立ての本を書きました。それは手探りで『学び合い』に取り組んでいただいた教師たちと、学術研究の対話によって成立しています。それを多くの本に表しました。あそこに書かれていることは、数千人の教師と膨大な実証的学術研究に積み上げられたものです。
さて、このような実践を積み上げられた方々の中には、次の段階に移行した方も多い。結局、子どもは授業方法ではなく、「人」を見ているのです。だから、『学び合い』が内在化すれば、私が本で書いたこと、例えば「可視化」などは不要になります。このあたりになると、実践者の方から「授業前後に子どもに語ることがないのです」と相談されます。私は「語ることがなければ、語らなければいい。そこにあなたがたっていればいい」と言います。分かる人は多くはないですが、分かる人もいます。
「たっていればいい」という状態になったときに二つに分かれます。一つはもっと何もしないことで成り立つことを目指す人と、何もしなくても成り立つならば、従来型のテクニックを加味しようとする人です。多くは後者です。それが自然です。
でも前者の方の場合、後者への誘惑を悩みながら、子どもを信じます。そして、集団の強さと、自分の弱さを自問自答します。何故、前者に拘るか。それは教育の目的を卒業後に置くか、今に置くかです。卒業後に置けば、「自分」はいません。だから、「自分」を消すことが教育の目的だと思うからです。結果として、前段階の『学び合い』実践者にとっては否定されたと思って私を恨む人、それ以上に私を無視する人がいると思います。いいのです。
そして、私は次の段階に移行しました。おそれく、私の生涯の最高到達点だと思っています。『学び合い』では「多様な人と折り合いと付け、自らの課題を解決すること」と掲げています。これはサピエンス全史で語るホモサピエンスの戦略です。しかし、これはDNAを変えるレベルまで時間がたっていない。我々はホモサピエンスがそれにいたる前のダンバー数に示される生物なのです。本当は、肉親を基本とした極めて限られた集団の中に生きるのが幸せなのです。
その事が分かるようになってから私の本はがらりと変わりました。例えば、教師がブラック残業から賢く身を守る方法(https://amzn.to/4pOvfyg)、部活動顧問の断り方(https://amzn.to/3KmnIqc)、教師のためのお金の増やし方がわかる本(https://amzn.to/46qbPbd)等を書き始めたのです。
私は、テクニック的『学び合い』でとりあえず授業レベルの『学び合い』に達し、次の段階に達し、家族に時間を振り向け、資産形成を成立させ、退職後がわくわくした状態で子どもたちの前に立って欲しい。
今の時代、子どもたちには「アタリの職業」はなく、それに至る「アタリの大学」「アタリの高校」はありません。結局、伴侶と添い遂げて、正しい投資をすることなのです。いま、もてはやされている会社に勤めるより、早めの投資を始めることこそアタリであることをピケティは示しています。
しかし、尊敬しているし、私を好きだった人から嫌われる・無視される人生です。だからこそ、関わる人を限りたい。