何故、文部科学省は密教と違って世界観のない曼荼羅を描くのか?
何故か?文部科学省、特に学習指導要領関係の文章はどう作られるかと言えば、とにかく周りが納得する人たちを集めるのです。その人たちの意見を受けます。みんな、それぞれの世界ではどえらい偉い人です。逆に言えば、その人たちが否定的な意見を言えば大変です。
その方々が自説を述べるのです。皆さん、自説に自身があるので殆ど議論はありません。その様子は文部科学省のサイトを見れば分かります。さて、文部科学省の担当官は何を思っているでしょうか?各人がてんでんばらばらの意見を言うのです。定義不能な言葉で議論するのですから、どうしようもありません。座長の方も何も言えません。座長の人も「それは矛盾しています」、「そのご意見は先の意見とどう関わるのですか?」と言えません。ましてや担当事務官は出来ません。結局、かみ合わない議論をだらだらを記録し、それを記録に残すのです。
結局、議論の過程は記録しますが、それとは全く関係ないことを担当事務官はまとめます。ただし、各委員の「ご」意見を無視せず活かそうと思います。結果として世界観のない曼荼羅が生まれるのです。
みなさん、その曼荼羅をまともに考える必要がありますか?