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酒の遍歴

 退職後なので、何でも書けるようになります。今まで本でも書きたいと思ったのですが、出版社から止められたことを書こうと思います。

 私が酒を飲み始めたのは、中学1年ぐらいでしょう。父が職人で、親戚が職人で、みんな中卒でした。ですので、集まると酒盛りです。そこに私が座っていると、「純も飲むか?」と聞かれ、お相伴をしました。酒飲みの血統だったのでかなり飲んでも乱れずに楽しく飲みました。

 そんなこんなで、父親の晩酌のお相手をして、中学校3年ぐらいにはかなり飲むようになりました。

 高校になると同級生とものむようになりました。池袋の東口、板橋本町には我が高校御用達の店があり、T高校○○様でボトルキープできるようになりました。文化祭の打ち上げで初めて他人とのんで、千鳥足になりました。ちなみに、生涯で千鳥足になって同級生に送ってもらったのは、高校1年の1回だけです。

 高校の頃はワインを飲みました。ある朝起きたら、「残ったワインはどうするの?」と母親に聞かれました。前日は飲みが進みワインを2本開けて、3本目に入ってちょっとのんで眠たくなったのです。栓を開けたワインは酸化するので、それを心配した母親が聞いたのです。おそらく、みなさんはドン引きしているかもしれませんが、昔の職人の家はそれが許される雰囲気です。私は「呑むよ」と言って、ほぼ一本のワインを飲み干して高校に行きました。良い気持ちで授業を受けました。休み時間に同級生から「西川、なんで授業中に鼻歌歌っていたの?」と聞かれました。おそらく、教師も気づいていたのではないでしょうか?

 そんなこんなで高校時代を過ごしました。高校時代は池袋、赤羽、板橋本町で呑みました。時には新橋近くの銀座で呑みました。飲みに行くときは、父親から「恥はかくな」と言われ万札(いまだったら4、5万円)をもらいました。受験の時は毎日13時間は勉強しました。それでも月に1度は呑みに出ました。

 筑波大学に合格しました。もともと自由にさせてもらっていたのですが、下宿となると自由が爆発します。学生宿舎のフロアーの会、学類の会等々の様々な会があり、そこに参加しました。もちろん、同級生の会もあります。

 今から考えると不思議です。それまでの私は膨大な本を読み、音楽を聴き、遊び、呑みました。1日90時間でも足りない毎日を過ごしました。

 繰り返しますが、ドン引きですけど、時代が違います。昔は大学生は飲酒OKでした。だから、大学入学して最初に、担任(筑波大学にはありました)の教授は自宅に学生を呼んで呑ませました。それを通して、飲み方を教えました。飲酒運転も同じです。今は飲酒運転は鬼畜の所業のように思われています。昔は緩かった。大学院時代、飲酒運転をしなかった日は殆ど無かった。同級生と家飲みして、気持ちいいと、筑波山までドライブしました。帰りの坂道で、ブレーキを踏む数を競っていたのです。

 日本語にも罪と犯罪という二つの言葉があります。英語にもあります。前者は道徳的基準に基づき、後者は法によってきまるものです。長々書きましたが、私の書きたかったことは二つです。犯罪は基本的には変わりません。しかし、罪は変わります。上記の私の行動は犯罪であることは間違いは無いですが、それをもって軽蔑される罪ではありませんでした。すくなくともみんな知っていた。後から知ったのですが、高校時代の恩師から高校の先生方も知っていました。罪はどのレベルかをしるには、係わる人から伝えてもらうしかありません。だから、人との関わりが大事です。分かりやすいのは、イジメはいけないことを知らない子どもなんていません。ただ、イジメを許されることか否かを決めるのは所属する集団によってきまります。

 もう一つ、大学学部2年の夏までは、毎日酒を呑むという習慣はありませんでした。酒を飲まず寝る日が過半数だと思います。では、2年の夏になにがおこったのか?それは明日以降に書こうと思います。