私は非常に希な、というか、明治以来、唯一無二の教育研究者だと思います。
あるとき、私のところにメールが来ました。内容は、自分は理科専門だけど先生の研究室に入れますか?という大学院進学希望者からのメールです。私は最初、ビックリし、口をあんぐりしました。その後に、大爆笑しました。みなさん、なぜだか分かりますか?
私の学部の専門は生物物理学で、物理教師として東京都高校教師に採用されました。私は大学院で理科教育を専攻し、修士の学位を得ました。博士の学位も理科教育学で得ました。私は多くの学会から学会賞をいただきましたが、それらは理科教育学研究です。日本理科教育学会の学会誌編集委員会の委員を務め、委員長を長らく務めました。ちなみに、私の勤務先での分類はずっと理科教育学なのです。つまり、経歴から言えば、バリバリ、専門は理科教育学なのです(正確に言えば、理科教育学における教育工学です)。
ところが、多くの方にとっては、私が理科教育が専門と思われていない。では、専門は何ですか?アクティブラーニング、『学び合い』と思っている方もおられるでしょう。いや、その方が多い。しかし、それらは学者の世界の専門ではありません。では、私の専門は何でしょう。あるとき、学生に私の業績(https://jun24kawa.jimdofree.com/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB/%EF%BC%92-%E6%A5%AD%E7%B8%BE/ )を示し、私の専門は何かを課題にしました。だれも分かりませんでした。
私の大学院以来、何のために学ぶのか、教師の側に立てば、何のために教えるのか、です。これは40年以上、一貫したテーマです。修士論文も、職業教育という明確な目的意識を持った教育に対して、普通科教育はどんな意味があるかをテーマにしたのです。
とあいえ、業績を上げ続けなければ生きられない大学の世界。私は論文を書きまくりました。でも、その中に「何のために学ぶのか」ということを仕込み続けました。その一つとして、他教科の学びと理科との違いを明らかにする論文を書くようになりました。私を可愛がってくれた先輩教師から、そのような研究をするなと言われたのです。私は、他教科と比較することによって、理科の意味が明らかになることを説明しました。私の説明を聞いた後にその方が仰ったのは「君の言うことは分かるが理科コースでは許されない。どうしたもそれをやりたければ、外に出るしかない」とのことでした。その方は、こう言えばやめるだろうと思ったと思います。だって、固定的な組織で理科コースを離れることは無理ですから。しかし、その直後に橋本内閣の教員養成の縮小方針が出ました。私は時の副学長(次期学長)に直談判して臨床をテーマとする新コースの立ち上げを進言しました。それがトントン拍子で進み、新コースが立ち上がり、私はそのコースで勤務先での最年少の教授に昇任しました。
新コースと言っても、教員も、そして、学生も旧態依然の枠組みです。新コースにおいても私の研究室を志望する人の多くは理科教育学です。ただし、その中で一人だけ理科教育以外の人がいました。その方を指導する中で多くを学びました。それは教科内容は教科依存だが、子どもの学ぶ姿は不変だと言うことです。その後、どんどん理科以外の学生さんが私のゼミを選ぶようになりました。その後、私が理科教育メインで教えていたときのゼミ生を同僚と迎えたとき、「私は理科から手を引く、後は任せたよ」と言って引きました。私を知る人の多くは、これ以降のことです。
『学び合い』が本格化し、アクティブ・ラーニングの本をバンバン出すようになって、私の専門は何に画なんだか分からなくなったと思います。さらに、投資の本や、部活動の本など、教科教育を離れた本を書くようになりました。
でもね、願いは一貫していますが、私の好きも一貫しています。
昼食後、大学内をふらりと植物を見ながら散策していると、他ゼミ(理科を専門とする私の教え子のゼミの学生)から「先生何をしているのですか?」と聞かれると、大学構内の様々な植物(多くは雑草と言われるもの)を指し示しながら、その構造や機能を説明し、植物進化の話を嬉々として話している自分がいます。学生が面白がっていると、天にも昇る気持ちで語り続けます。結果として1時間近く、その学生を連れ回します。
『学び合い』と真逆な私です。でも、本性は変わりませんね。