今から30年ぐらい前のことです。私学の理科の先生方の集まりに講演で呼ばれました。『学び合い』の初期研究の成果を面白おかしく講演しました。面白おかしく語ったので多くの先生方は気づかなかったのですが、その中のベテランの先生が講演後に手を上げました。その方は「つまり、我々が今までやっていることは無駄と言うことですか?」と質問したのです。若い私は論理的、実証的にその方の仰ることを全て論破したのです。結果どうなるか。人の多くは論理では動きません。私に質問したベテランの方は「いい先生」です。それは分かる。だから、私は多くの先生方から嫌われました。
本日、家内とテレビを見ていると、卒業証書を地元の和紙を使っている中学校が紹介されました。脱力します。卒業少々が地元和紙であることによって、卒業生の生涯の幸せにどんな意味があるでしょう。でも、多くの人は「いいことだ~」と思うのです。何故か。それは「子どもの一生涯の幸せなんか学校が何も出来ない」と思っているのです。だから、小技にはしっている。
でも、子どもたちの幸せを保障するのは、中学校区レベルに悩んだ時に相談し、愚痴を言える人を多数で多様に持てることなのです。多くの教師も保護者の子どもたちも無理だと思っています。でも、可能なのです。毎日、毎日の教科学習で支え合うことが自分にとって得だと言うことを実感させる教育は可能であること。
同志の方に言います。こんな馬鹿馬鹿しい番組がなくなる未来を皆さんが作って下さい。私は年金生活者です。