私のごく初期の研究に「西川純、小林学(1985.10):戦後の経済・産業界の教育に関する要望・意見の変遷、科学教育研究、9、日本科学教育学会、100-106」があります。教育が社会をどう動かすかを研究する論文で、おそらくその後40年間、これに準じる論文は皆無です。何故なら、教科教育研究は教科内容をどうやって教えるかに終始し、その結果として子どもの人生や社会がどうなるかを求める人が皆無だったからだと思います。
私は経済同友会、日経連等のメジャーな経済・産業組織に行き、その組織が教育にどのような要望・意見を求めたかを調べました。その結果、分かったのは、戦後初期の段階は日本再生において理科教育が大事だという要望・意見が多かったのです。ところがやがてそれが下火になり、その代わりに理工学部の予算を増やせという要望・意見が増えたのです。
つまり、義務教育段階の充実による裾野の広がりではなく、そもそも理系に向いている人に予算を振り向けろと言うことです。理系の人間は理科大っ嫌いの文系の担任であっても、理系として生き残ると言うことです。それで潰れるような人は、日本の産業を支える人にはなり得ないのです。
スポーツの世界であっても、同じです。その中で世界で活躍するレベルの人は、他の人からサポートされなくても、そうなる人なのです。百歩譲っても、普通の学校で部活動を用意しなくても、何が何でもする子どもが世界で活躍しやくします。もちろん、義務教育段階での指導によって生き残るアスリートもいるでしょう。でも、その人たちの可能性を保証するために、百倍、千倍の子どもに幻想を与えるべきではない。
分かりやすい例を挙げましょう。
もし、中笑連、高笑連という組織があって、最終的にはM1グランプリを目指している下部組織があったとします。そして、その組織が教育委員会の密接な関係を持っていたら。
どうおもいますか?私には中体連、高体連がそうだと思います。そんな組織がなくても、市町村レベルの部活、社会体育の顧問がリーグをくめばいいのに。
昨日の内容をすこし分かりやすくしました。