団塊の世代とは1947年〜1949年生まれの人たちで、1959年生まれの私より一回り上の世代です。その方々心から感謝しています。
その方々のおかげで、私の世代は私の世代中心の社会でした。子ども用の製品があふれ、テレビ等のマスメディアは子ども用の番組を乱発しました。今の方々には信じられないと思いますが、夏休み期間、14時から18時は子ども用番組が延々と流されていました。
昭和の日本人の男性の平均寿命は60歳程度でした。つまり、退職後速やかに死にます。ところが、日本人の平均寿命が急速に伸びました。なんとゴールデンタイムに老人用おむつのコマーシャルが流れてびっくりしましたが、これも団塊の世代の方々がこじ開けてくれたおかげです。
振り返って、私の世代は後進に何をしただろうか?ありません。私の世代は、私の世代より若い世代に、古いモデルを押しつけている。学校の勉強ができれば幸せになれる、高い偏差値は幸せにつながるというモデルです。
馬鹿馬鹿しい、日本の1条校における教科学習に普遍的に価値はありません。偏差値の高い大学に進学しても、非正規雇用がまっている。採用されても離職する。その教科の学習の普遍的な価値を言っても、それは学術的にあやまりです。例えば、国語の学習で得られるのは国語のテストに関する価値しかない。しかし、上記の書いたように意味がないのです。そもそも、国語に関して読む力を語る人に言いたい。あなたの語る読む力とは、週4,5時間で得られるものですか?読む力に対して失礼だと思います。読む力とは、それが生活の一部となって十年以上は必要だと思います。
では学校教育は意味がないのか?あります。全ての人に中学校区レベルの人的ネットワークを与えること、全体の2割弱の人に集団形成・維持・発展が意味あることを実感させることです。
でも、ほとんどの教師はそれをわからず、とりあえず教科のテストの点数をとらせる教育をしています。小学校教師は、子どもの幸せは中学校教師に責任があると考えます。だから、卒業式で胸を張って退場する子どもを見て、「私はやった」と思います。これは中学校教師も、高校教師も同じです。私の責任ではないと思っているのです。でも、その人たちの責任なんです。組織的にネットワークの構築と対人能力の育成を怠り、「あり、おり、はべり」を教えることで満足しています。
私は退職し本当に幸せです。雑音が入らず、妻との時間を過ごしています。しかし、すり抜ける情報から、子どもが奈落に落ち、かつ、旧来の教師が誤ったモデルを与え続けていることを知ると、深く悲しみます。
でも、私はやるだけやった。後は若い人たちの問題です。