この3日間、ある恋愛リアリティーショーを視聴していました。しかし、途中脱落しました。その一方で、恋愛リアリティーショーでも、ドはまりするものがあります。どこが違うんだろうと考えて、分かりました。
恋愛リアリティーショーは出演者が見ず知らずの相手に恋愛感情のない状態で、恋愛感情に陥る競争をするのです。そこには駆け引き等があります。それが辛いのです。
そう考えると、私の好きな数少ない恋愛リアリティーショーの場合は、話数のごくはじめの段階に「この人」と直感的に感じ、後は一途です。相手は迷います。他の人に目を向けます。しかし、「この人」と思った人は一途に思い続けるのです。
なぜ、このような考察が必要なのか?
それは私の残された時間を幸せな時間で満たしたいのです。
朝、妻の横で起き、妻の朝食を食べます。ジムに行き、帰ります。昼からは家内とランチ(ウイークデーは遠出の小旅行)と買い物をして帰宅です。そこから好きなコンテンツを楽しんで、晩酌。そんな毎日を過ごしています。だから、コンテンツ選択は大事なのです。誤ると、私の貴重な老後の数時間を無駄にします。だから、無駄にしない基準を精緻化することはとても大事なことです。この件に関しては恋愛リアリティーショーの場合は、最初の数話で「この人」がない場合は脱落すべきなのです。
退職後の私にとって一番大事なのは時間です。正確にはいやな気持ちの時間を0にすることです。
そのためには、自分の幸せは何かを自覚することです。それがお金をかからないものにすべきです。
私の幸せは、妻の横で起きて、妻の朝食を食べ、妻と一緒に昼食を食べ、妻と晩酌をして、妻の横で眠るです。これは退職前はお金を使いません。退職後は、昼食の部分が妻の弁当が「事務、外食・小旅行」に変わりました、そして、その後にコンテンツを楽しむに変わりました。が、金額としてはそれほどではありません。ような、毎日続けられないことを幸せにすると、それを常態化すると金が続きません。
第二に必要なのは、上記を成り立たせるための資産形成です。ビルゲイツになる必要はないですが、それなりの資産形成は必要です。退職金+年金では無理でしょう。それでは毎年少なくなる老後資金に悩みます。
第三に必要なのは、人との関わりです。人と関われば関わるほど、「不快」、「出費」が生じます。
第三に関しては、『学び合い』の提唱者としては不思議でしょ?でも、矛盾ありません。私の本に書いてあるとおり、我々ホモサピエンスはダンバー数で示されるように、極めて限られた群れで生活するように設計されています。それが本来の幸せなのです。しかし、急速な社会拡大の結果として、多様で多数の人間関係を持てることが必要になったのです。そのための『学び合い』です。人は『学び合い』で生き残り、退職後は『学び合い』が必要がないサバンナの本能に基づく生き方に戻るべきなのです。そのために、家族という基本の群れを大事にして、ダンバー数を超えないネットワーク、そして生きるすべとしての資産形成が必要なのです。補足しますが、退職前に『学び合い』意外に上記を達成することは無理だと思っています。
私を直接知るゼミ生諸君、私は君らが知る状態より、さらに幸せそうなおっさん(じじー)に進化しています。そこで大事なのは、君らと関わらないことなのです。あはははは。本当に、こんなこと公言する教育研究者は明治以来私一人でしょ?