チャーチルは「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試されてきた他の政治形態を除けば」という下院での演説は有名です。私もそう思います。民主主義は「まし」なのです。ただし、民主主義の質を定めるのは、有権者の「質」です。ここでいう質とは、自分たちが決められることは、人に決められるより「まし」ということです。ナチスドイツを生み出したのは民主的なワイマール憲法下の、自分で考えることを放棄した疲弊した愚かなドイツ人です。
民主国家において大事なのは、上記のことを子どもに伝えることです。が、日本の善意ある文部科学省、都道府県教育委員会、そして、なによりも保護者がそれを分かっていない。その結果として、学校は最善でも啓蒙的専制君主国家になっています。そんな中で育った子どもたちが、自分の1票が世の中を変えられると思えるでしょうか?今の若者の投票率の低さは、学校教育の罪です。結果として、高齢者に有利で、若者に不利な世界が形成されています。
教師は子どもを民主主義の中で育てなければならない、それが民主国家における教師の役割だと堅く確信しています。仮に失敗してもいいのです。それがないような仕組みを考え、実践すべきです。
教師として私がやったこと。
最初にやったのは境界条件です。どこは動かせないかをはっきり見定めることです。そのために、事務当局と通達・法規を元に議論し、本当に動かせない部分はどこで、どこまでは自由かを線引きしました。その上で、子どもたちに自由に考えさせます。
その上で、普遍的なルールを課しました。それは、「お金に関わること」、「今まで関わってこなかった他組織に、西川研究室という看板で関わることの最初の時(つまり、それ以降は私に相談する必要はありませんし、個人としての行動を私は制約しません)」この二つだけは、事前に私に相談することを求めました。しかし、この二つ以外は私に相談、承認をもとめなくていいのです。
ただし、独り決めはだめです。もう一つのルールは、できるだけ多くのメンバーが集まり、話し合い決めることを求めました。
私の学級経営の方針は上記だけです。
だから、私が書くべき書類(人事、予算)以外は全てゼミ生が書きました。ゼミ生の中で私のサイン係はいて、私の判子は任せています。面白いのは、事務方の対応です。ゼミ生が作成した書類を事務に提出すると、事務官が「?」と思うときもあるでしょう。事務官が「どこの研究室?」と質問して、ゼミ生が「西川研究室」と応えると、だまって受理してくれるそうです。最初にそれを聞いたとき、私は大爆笑してしまいました。
これって、多くの人たちは大学だからできると思うと思います。違います。そう思うような人は、大学教師になってもできません。だって、私以外の人はそんなことやろうと思うことすらないですから。
私がそれを信じられたのは、大学の書類の多くは失敗してもたいしたことがないからです。そして、私一人の知恵より、数十人の知恵の方が勝っているからです。
例えばです。偏微分方程式の問題を解くのだったら、私は全ゼミ生より勝っています。しかし、私のゼミの問題、そして小学校の担任の皆さんの問題すらも、子どもたちが分かっています。少なくともクラスの2,3人は理解できており、多くの子どもたちはその子たちの判断は正しいことを知っています。反対する子どもはいるでしょう。でも、そこで話し合い、折り合いをつけるのです。私はそのことを、私の判断を押しつけるより「まし」であることを疑ったことはありません。
ということができない教師が、ミサイルを日本海に発射している国の政治を子どもに強いて、子どもたちはそれを普通と思うようにしているのです。罪深いと思いませんか?
最後に、「でも」と思っている人がいたら言いたい。子どもたちに任せて、誤って、どれほどの問題がありますか?結局、リスク管理をしていない。その原因は、子どものためではなく、自分が面倒くさくないためです。
私は民主主義の未来を憂えています。