『学び合い』の実践論は比較的単純です。9割程度の問題に関しては、5冊程度の本を読めば良い。しかし、クラスにいるトップ数人の子どもを心服させるとしたら、一定以上の理論が必要になります。
私とゼミ生との問答(西川純研究室)は公開していますが、それを聞けば私の言うことは非常にシンプルです。ま、それ故にゼミ生たちは私の言うであろうことは予想できます。ゼミ生の言う「ミニ西川」です。ただし、同時に私が同じことを言うにせよ、その根拠となる実証的なデータや理論は多種多様です。心理学、教育学はもちろんですが、経済学、経営学、歴史学、生物学を引用しています。意外かもしれませんが、宗教関係も多い。法華経は全部読みましたし、キリスト教の聖書はもちろん、外典、悪魔学も読みました。コラーンも読みました。日蓮の立正安国論、道元の正法眼蔵、親鸞の教行信証も読みました。上記宗教関係は、小学生高学年から高校の初期ぐらいです。その頃は後生が怖かったので。神保町に行けば、現代語訳の本は手に入れられましたから。
私は小学校高学年ぐらいから、オトナ、それも大学生以上の人が読むであろう本を読み続けました。理由は怖かったからです。最初は地獄に行きたくないレベルでした。ところが高校時代から大学学部時代は遊びまくり、自分の将来を恐れまくりました。最初は授業者として、次は研究者として、次は授業者の教師としてです。特に、最後の段階は、自分が偉そうに言っていることを本気か見破る子どもがいることを私は恐れました。高校教師時代にもいました。だから、私が子どもたちに何かを言う前に、常に、自分の平常の行動との矛盾がないかをチェックし、そして理論を精緻化したのです。それが30年間積み上がりました。授業レベルではなく、教師の生き方を考えれば法律関係の勉強が必要です。そして、年齢が上がるにつれて、資産形成に関する知識が必要です。そして、最終段階になれば、私が死んだ後の相続関係の勉強が必要です。
私の『学び合い』は自分の幸せを実現するために、心配性の私が半世紀積み上げたものなのです。ただし、自分の幸せを実現するためには、関わる人の幸せを最大限にすることと矛盾ないようにしなければなりません。でもね、最終段階になると、関わる人が限られてくる。でもね、それが美しい。
小学生高学年から積み上げたものが、現在のオンラインゼミ生にも一貫していることって、美しい。