年齢を重ねると、時間と手間の相対的な価値が変わります。
中学生頃から京都の寺院巡りが趣味でしたが、その時は、23時頃に発する鈍行各駅停車の電車で移動しました。寝るのに苦労しました。荷を担いだおばさんは板を用意して、向かい合った椅子に渡して器用に寝ていましたが、私は膝を屈して寝ました。泊まるのは1泊数百円のユースホステルです。お金をかけないことに楽しみを見いだしていました。50歳代後半頃からは指定席をとって、駅近くのホテルをとるようにしました。
最近、メインで使っているクレジットカードが上限を超えて使えなくなりました。私は基本キャッシュレスで生活しています。ところが、最近は固定資産税、自動車税、市民税を一気にキャッシュレスで処理したため上限を超えてしまいました。なぜ気づいたかと言えば、ランチの支払いでクレジットカードが使えないことを発見し、調べたらそうだったのです。慌てて、引き落とし期日前に銀行振り込みをして解決しました。しかし、この心労とその処理に関わるカスタマーセンターへの連絡時間(待ち時間が半端ない)ことを理解し、有料のカードにしました。
最近、口座の解約などの手続きをしていますが、本当に時間がかかる。だから、今すべきだということを確信しました。
若い学生さんに嫌みったらしく聞きます。「若い人に、無意味に大量になるものは何か?」と。誰も分かりません。答えは「エネルギーと時間」です。若い人はそんなことはないと思うでしょう。でもね、三十後半になれば全力疾走することはなくなります。忙しいと思っている若い人は多いでしょう。でもね、その忙しさはあなた本人の忙しさです。ところが、結婚し子どもが生まれれば、あなたの忙しさは減らず(おそらく増える)、伴侶と子どものための時間が増加します。
では、私のように退職後の人はどうでしょう。仕事に割かれる時間はありません。子どもは大人になります。しかし、子どもに対する心配は変わりません。妻が背負うべきものは変わりません。ならば、自分のすべき子をは仕事以外に広がります。そして、若い人、壮年の人に比べて、自分に残された時間がより具体的に分かるのです。寿命や健康寿命は統計で分かります。しかし私自身は分かりません。
最近のメモに書いたことがあります。私の大学の同級生が死んでいることを知りました。もともと体の弱い人でもありません。無頼派の生活をしている人でもありません。極めて真面目で、淡々と仕事をしている人です。その人も亡くなったのです。世の無常を感じます。ご冥福を祈ります。同時に予防医学に関しては保険適用外でもしています。
金で解決するか、控えるかの基準です。
メディアで様々なサービスが紹介されます。その直後にアクセスが殺到するようなものは検討します。しかし、そうでない超セレブ、つまり多くの視聴者にとって憧れかもしれませんが、よろうとしないことは、私とは無関係です。私にとって、一分、一秒のロスが嫌です。務めているときが、多くの人がそれを求めていました。
ということで、多くの人が「いいね」、「やろう」と思うレベルの経験と、日々の生活の普通の幸せで私の時間を見たそうとしています。だから、それ以外の時間を今から一つ一つ潰しています。務めているときは、それを何の違和感のなく潰す人がいましたから。