暇だと、文部科学省や都道府県教育委員会の情報が私の目に触れる。タイムラインに勝手に流れてくる。勘弁してほしい。幸せな時間を過ごしているのに、もの凄く、不快になる。
どうして、そういう行政の人たちは、子どもたちを強いるのだろう。それが良いという実証的データってあるの?ないんだよな。なんだか話題になるし、それに便乗した御用学者の言説に踊らされている。
最近でムカムカしたのはAIです。学校に導入しよう、活用しようとする流れがあります。ナイーブ(これって学者の世界では、最高の侮蔑の言葉です。ようは素人という意味です。)な考え方です。
私は今から40年以上前に初期の人工知能を研究し、それを教育に導入する論文を書きました。その後も、つかず離れずでウオッチしていました。そして、一般書籍にAIに関する本が出始めたとき、出版されている本をとにかく読んでみました。その結果、わかったのは二つです。第一は、今後、AIが発展し人に置き換わる範囲が広がること。第二は、それ以外は、全く一致していないことです。名だたる専門家が自信たっぷりに別々なことを言っているのです。
それ以降、AIの開発に関わる0.1%以下の人以外には、AIを学ぶ必要はありません。例えば、テレビを見ている人は多いですが、その仕組みを理解し、組み立てられる人は0.1%もいない。だから、学校でテレビの仕組みを学ばないのです。
では、AIの使い方ですが、これもハッキリとした方向性は定まっていません。大人たちが右往左往しているのです。その段階で、何故、子どもたちに強いるのだろうかと思います。
じゃ、どうするか?
かつて書いた本(https://amzn.to/4u1iD7y )と同じです。健全な集団を形成し、そのネットワークの中で子どもたち集団が最適な使い方を模索すれば良いのです。
私は教え子を強いません。聞かれれば、私なりの生き方と、その根拠を示します。そして、幸せそうなおっさん、じーさんである私をさらします。そうすれば、自然の問答が生まれ、その中で子ども「たち」は学ぶのです。正解がわからない教師がすべき姿はそうあるべきだと思っているからです。
なので、文科省、都道府県教育委員会、そしてそれをサポートしている御用学者の言説に、いちいち突っ込みたくなる。「あなたが、そう断言する実証的なデーターってあるの?」と。私はあります。
追伸 AIと教育の情報内容は、文部科学省、都道府県教育委員会、学校、教師なのはなぜ?主語は子ども、子どもたちだろう。