大胆な改革によって一世を風靡した校長はいました。ところが、その校長が退職すると、直ぐに、もしくは、次の次の校長の代にはごく普通の学校になります。その分析にはいろいろあります。例えば以下があります。
私なりの分析です。
中国の易姓革命も、その他の革命もいずれも民衆が始めましたが、成功した革命は常に当時のエリートと言われるリードする人たちが方向性を定めていました。主に飢えから民衆は暴動します。その数は膨大です。しかし、その圧倒的大多数は、組織的武力を持つ時の権力者によって鎮圧されます。暴動参加者は多くとも、しょせん「私は食べたい」という利己的なエゴだけなので組織的暴力が来ると直ぐに瓦解します。
では、成功した革命はどこが違うか?
第一に理論があること、出来れば理論書があることです。もちろん、大多数の人は理論書は読みません。それでいいのです。一部の人がそれを読み、納得したとき外部からの攻撃への耐性を持てます。理論を獲得すれば、己の短期の利害ではなく、中長期の利害判断が出来ます。そして、多くの人たちに対して己の利害を、多くの人たちの利害と一致させて説得することが出来たのです。
第二に、広く人を求めました。上記の理論を理解できる人は多くはない。狭い範囲で固まれば、全てを自分が背負わなければなりません。そうすると自分のマンパワーが限界になります。ただし、広げればいいというわけではありません。情報は広げ、コアメンバーを固めるのです。
そう考えると、多くの教育改革を推進した校長がそれをしたかを再考してください。
私は上記のように理解しているので、最低限の実践書を書き終わった頃から、実践に直接関わらないけど理論書を書き始めました。また、部活動顧問の断り方、学歴の経済学、お金の増やし方など、日々の教育とは距離がある本も書きました。
私はそれがわかる人には繰り返し「クラスを変えるより、学年を変える方が楽。学年を変えるより学校を変える方が楽。学校を変えるより、地区を変える方が楽。地区を変えるより都道府県を変える方が楽」。一見、逆のように思う人がいるでしょう。だから、多くの人は、自分のクラスがよくなれば、自分の学校がよくなればいいと満足してしまう。しかし、自分がではなく、みんなでやろうと思う人は、自分と同じように考える人を見いだすならば広い範囲に広げた方が安定して獲得できることを知ります。
それに、子どもたちの未来を考えたとき、自分のクラスでハッピーで満足していいでしょうか?クラス替え、進学、就職を考えたときそれでいいでしょうか?自分自身も今の学校でハッピーだとして、異動したらどうでしょうか?もし、移動先でも『学び合い』の実践者がいたらどれほど楽で楽しいか?そう考えると、子どもたちのためには中学校区、自分のためには教育事務所単位が最小単位だと思います。
全国で上記を理解している方々がいることを知っています。是非続けてください。また、まだの方はやり始めてください。そのやり方は、以下に詳しく書いています(こんなのも書いてあるんです。)
『学び合い』 誰一人見捨てない教育論(https://amzn.to/4uYvFTV )
『学び合い』はしない 1段上の『学び合い』活用法(https://amzn.to/3RbVT7D )
そして、開く場合は私に連絡ください。私が宣伝のお手伝いをします。FBで気づいたときはシェアしていますが、気づかないときは教えてください。FB以外で宣伝している方はアドレスを教えてください。ただし、私なりのルールがあります。その会のタイトルに『学び合い』が明記されているもののみ宣伝します。趣旨に賛同したとしても、それ以外を宣伝し始めたら収拾がつかなくなり、私のタイムラインはそれのみに乗っ取られますので。あしからず。
上記の本にも書きましたが、参加者を増やすことより、主催者を増やすことを重視してください。理由はすでに書いたとおりです。
追伸 何度も書きましたが、全国的に広がる教育実践の中で、『学び合い』はとても変わった特徴があります。それは、全国的な組織がないことです。それを創ることを勧められたことは多いです。全て断りました。理由は組織は堕落するからです。組織は組織を存続することを第一目的になるからです。私は『学び合い』の理論と実践論には科学的・実践的な裏付けがあり、時代の必然性があることを疑ったことはありません。だから、固定的な組織は必要ありません。上記を理解し、汗をかいている同志の方々が共感と尊敬でつながっている姿こそ、『学び合い』の姿として美しいと思っています。同様な理由で、『学び合い』に「西川純」という固有名詞をつけることを断固拒否しました。『学び合い』が私個人に縛られる程度のものではないからです。
ま、いずれにせよ。来たるべき脱工業化社会において、そして、途上の移行期間においても『学び合い』以外の選択肢はないと確信しています。今は、工業化社会の無様なあがきを高みの見物をしています。ふぉふぉふぉ