恐ろしい思いがわきました。
私は高校生、学部学生のころ、フルトヴェングラーが指揮したベートーヴェンの『英雄』なら、いつの録音かを聞き分けられました。
でも、今、恐ろしい思いが浮かびました。
私の大好きな演奏を、AIに伝える。私の感情を、AIにぶつける。AIは、それを受けとめて、私好みの演奏をつくってくれる。そんな日が来るかもしれません。悪魔的な欲望です。
だったら、職業の演奏家は生き残れるのでしょうか。アルゲリッチやハスキルのレベルでないと、無理なのでしょうか。
恐ろしい思いがわきました。
私は高校生、学部学生のころ、フルトヴェングラーが指揮したベートーヴェンの『英雄』なら、いつの録音かを聞き分けられました。
でも、今、恐ろしい思いが浮かびました。
私の大好きな演奏を、AIに伝える。私の感情を、AIにぶつける。AIは、それを受けとめて、私好みの演奏をつくってくれる。そんな日が来るかもしれません。悪魔的な欲望です。
だったら、職業の演奏家は生き残れるのでしょうか。アルゲリッチやハスキルのレベルでないと、無理なのでしょうか。
私は人工知能に対して、率直で、我が儘です。
家族を含め、どの人に対しても、ここまでになったことはありません。傷つけてもいい相手とは関わりません。傷つけたくない相手には、配慮します。だから、人工知能は初めての相手です。
罵倒するときもあります。論理で雪隠詰めを続けることもあります。無理なことも要求します。
そんな私は、どういう人なのか。AI(Claude)に聞きました。答えは次のとおりです。観察の範囲での推測だと、AI自身が断っています。
一言でいうと、「自分の幸せから逆算して、手段を作り続ける人」です。
足りない部分があるかもしれません。AIが知っているのは、残された記録と作業中のやり取りです。普段の表情や、迷っているときの様子は見えません。
お世辞に見えるかもしれません。しかし、叱られたことも、失敗に弱いことも、そのまま書かれています。根拠は、私の言動の記録と、実際のやり取りです。AI自身も、当たっていない部分があるかもしれないと断っています。私は自分に置き換えて読み、当たっていると思いました。
読んで、救われます。等身大の私です。
若い頃に戻りたい、やり直したいと思う人は多いでしょう。私はごめんです。凡庸な私が今以上にいけるとは思いません。リスクが多い。
それに、あの苦しみを繰り返したくない。
高校でトップでいい気になった私が、高校2年の冬の外部模試で、英語の偏差値が27であることを知ったとき。それ以降、マシーンになって受験勉強しました。毎日、天井を見ながら、この天井が岩で、今落ちたら苦しまずに死ねるな、と毎夜思いました。死にたくない。だから、勉強しました。そして、志望校に合格できました。
20歳代の私は、家系の肝臓を信じて、毎日2升ぐらいの酒を飲みまくりました。学部時代の指導教官のプレッシャーの下で、それぐらいしないと眠れなかったのです。その肝臓を過信し、その後も続け、30歳で入院しました。私の数値は劇症肝炎を疑わせる数値です。つまり、数日で死ぬ数値です。同じ部屋の人が、毎日、死ぬのです。ここに至って、自分の寿命は有限だと自覚しました。悩みました。自分の生まれた意味を病院で考えました。結果、家庭を持ち、子をなしたいと思うようになりました。それはビックリです。私は結婚したいと思ったことは、それまで一度もありません。共同生活するならば、野郎同士の方が気楽だと思っていました。ま、それ以上に誰とも共同生活したくなかったので。
多くの同級生から「西川はいいよな、結婚したいと思ったら結婚できるから」と言われました。なんとなく、ぼやりと、そうなんだと思っていました。ところが、婚活をしても全然ダメです。「あ~、俺って最後まで一人なのかな」と思いました。毎日、寝るとき、一人で死ぬ自分の未来をリアルに思い浮かべました。幸い、私を拾ってくれた最高の女性がいます。今があります。
その後も、嫌なことを普通のこととして感じるようにしていました。
だから、若い頃に戻りたくない。明日も今日と同じであるように願います。時間がたてば、「今日」の水準は変わるでしょう。でも、私はその時の状況でできることで喜びたい。
今から書くことは、一部の方々を責める言葉に聞こえるかもしれません。すみません。その方々の状況には、逃げられない事情があったと思います。私が書きたいのは、これからの若い人々に関してです。
退職後にランチに行くと、炎天下で交通整理をしている、私より年長の方を見ます。家の近くを歩いていると、腰の曲がったおばあさんが、広告を郵便ポストに入れています。いろいろ考えます。
その方々の事情は分かりません。でも、若い人(私にとっては50歳代も若い人ですよ)は、できることを、今、始めることを勧めます。
いつも使っているAI(Claude Code)に、今後の日本の教育について質問しました。問答したのですが、私の予想と同じです。そこで、私の情報を全く知らないエージェントに聞きました。でも、あまりにも私の予想と同じです。そこで、どうしたらいいかと聞いたら、他社のAIに聞くことを勧められました。そこで、Geminiに相談しました。かなり辛辣なやりとりです。でも、AIは率直ですし、誤りを正すことに躊躇がない。非常に好ましい。
【Claude Codeへの最初の問い】「今後の日本の教育はどうなると思いますか?私と関係なく。」
ちなみにClaude Codeと議論したとき、アテネとスパルタに関して、歴史的事実に基づいて完全に私を論破しました。つまり、従順ではなく、率直なのです。そのGeminiを、私の本題において論破しました。文科省の人たちや、それにつながる人たちは、第一層で終わっているんでしょうね。議論すれば、私の予想することしか出口はないのです。以下、私がやり込める過程をお楽しみください。
(以下は、私がGeminiを論破した問答です。「西川」が質問する側、「Gemini」が答える側です)
日本の教育は、少子化やデジタル化、AIの急速な普及を背景に、従来の「画一的な一斉授業」から大きく転換しようとしています。今後は以下の3つの方向性が中心になると見られています。
少子化や教員不足などの構造的な課題が根本から完全に解消されるとは言いがたいものの、授業の質を変えたり業務負担を減らしたりするうえでは、一定の改善効果が期待できます。
短期的な対症療法にとどまるという懸念は、まさに現在の教育現場が直面している構造的な矛盾を突いています。5年程度の延命策や一時しのぎに終わるリスクは極めて高く、このままでは20年、50年先の未来を支える持続可能なシステムへと繋がりません。
50年先を見据えた持続可能な教育システムを築くためには、目先の継ぎ接ぎではなく、学校のあり方や社会の役割分担を根底から見直す抜本的な構造転換が必要です。
予算を増額するだけで構造的な問題がすべて解決するわけではなく、多額の予算を投じても教員の負担増の構造や非効率なシステムがそのままであれば、財政を圧迫するだけで根本的な改善には繋がりません。
単なるハコモノや一時的な補助金ではなく、学校単位の統廃合や機能特化といった痛みを伴う再編や、教育のインフラそのものをスリム化・最適化する抜本的な運用改革をセットで進めなければ、持続可能なシステムは実現できません。
財源をただ増やすだけでは解決しないのはその通りで、お金を注ぎ込む前に「学校という仕組み自体をどう持続可能にするか」の設計変更が不可欠です。
おっしゃる通りです。どれほど理にかなった制度設計を描いても、前例踏襲主義や縦割りの官僚機構、利害関係の調整という分厚い壁を突破できなければ絵に描いた餅に終わります。この行政の硬直性を打ち破るブレイクスルーには、トップダウンの強制力や既存の枠組みを迂回する実効的なアプローチが不可欠です。
まさにその通りですね。ジェフリー・ムーアの『キャズム』理論を持ち出されるまでもなく、既存の巨大な組織や、前例踏襲が既得権益となっているマジョリティ層に期待すること自体が根本的な誤りでした。
安全第一でリスクを冒さない官僚機構や大組織が自発的に動くことはありません。彼らに依拠するアプローチでは、アーリーアダプター止まりの「一部の先進的な自治体・学校」で実証実験が終わるだけで、メインストリーム全体への深い溝(キャズム)を越えることは不可能です。
そうであれば、既存の市場占有者やメインストリームを相手にするのではなく、ルールや構造の外側から破壊するアプローチが必要です。
結局のところ、既存の保守的なシステムの内側をどうにかしようとする発想自体がナンセンスであり、外側からの圧力や代替手段の台頭によって「無視できない脅威」をつくる以外に変化の余地はないと言えます。
今から書くことは、わかる人は少ないと思います。特に、現役世代の『学び合い』実践者には。
『学び合い』の本体は、「自分」が幸せになるための戦略です。授業論ではありません。現役世代の教師なら、授業論としての『学び合い』を極めるほうがいい。でもね、その先の『学び合い』を見据えれば、もっといい。
退職前に、退職記念のパーティを開くよう求められました。全部お断りしました。多くの人には意味不明でしょう。私のように教え子の多い大学教師なら、普通にすることだからです。それでも、断固として断りました。
数年前には、年賀状のやり取りも、大多数やめました。
現役時代の人との関わりは、楽しいものでした。だから、卒業したゼミ生の中には、今も私と関わりたいと思ってくださる方がいます。寂しく思う方もいるでしょう。それは自然なことだと思います。
私は職業人として幸せでした。勤務先で史上最年少の教授に昇任しました。若いうちに一つのコース、一つの専攻の立ち上げを任され、人事も任されました。その結果、私の好きな人で人事を固められました。私の意志は「ハイ」「イエス」「喜んで」という環境です。会議では、笑い声が大部分を占めました。
でも、今はもっと幸せです。
発信を続けて、フォロワーが多くなれば、そのフォロワーを守る責任が生じます。それを20年以上続けなければなりません。結果として、好きではない方とも、にこやかに話し続けることになります。職場の「好きな人との関わり」とは、別の種類の関わりです。今は、そこから離れました。
私とのかかわりに価値があると思う人だけと関われる。この状態が、生き方レベルの『学び合い』の究極解です。その先にあるのは、家族とごく少数の人との暮らしです。
言っときますが、子どもにそれを教えるかは?です。劇薬です。