5年前に私の還暦の会の際、赤いちゃんちゃんこを着ました。ワンセットを関係者からいただきました。家内はそれを大事に保存していました。本日、家内に着てもらいました。これを息子に伝えたいと思います。今から35年後ですが。
若い頃
若い頃に戻りたい、と言う人とは共感出来ません。
私の人生において、ああすればよかった、こうすればよかったと言うものはあります。しかし、その後の人生で何かをやり続けて、回復し、改善したことが多い。その努力をチャラにする気にはなりません。
何を書きたいかと言えば、若い人は悔いることはあるでしょう。しょうがありません。でも、それをやり直したいと思うより、現状を改善するにはどうしたいかを考えるべきなのです。
追伸 私の場合の悔いること。それは数日、数時間前の私が家内にやったこと。
話術
本日のオンラインゼミで語ったことです。
教師なる数ヶ月前に、私の知る限り最高の話術の教師である恩師に会いました。その方に教師になる前にすべきことを聞きました。「落語を聞きなさい」とのことです。意外です。その方は、毎週国会図書館に行き、田沼意次を研究し続けた方です。それ故に教材研究を勧められると予想したのです。恩師は「教師は喋る仕事だから」と言われました。恩師の新任校は上野の高校で、上野の鈴本演芸場に通ったそうです。
それ以来、落語を聞き続けました。
その結果、到達した話術の奥義は、演ずるのではなく、本人になるということです。
前座、二つ目、そして凡庸な落語家は演ずるのです。例えば、大店の主人になりきるのです。ところが名人は大店の主人なのです。それ故に、全ては自然になり、説得力が生まれます。
名人は噺によって様々な人になります。私には出来ません。私が出来るのは「西川純」になるのです。そのため、嘘は言わない。そして、本気で信じていることしか言わない。それが私の話術の根幹です。
消える
私は清く消えて、次のステージに移行することは美しいと思っています。それをここ最近の行動指針としています。その一つとして、私のSNS発信から「上越教育大学」を消し始めています。
私のもともとの専門が理科教育学であることを知らない人は多いとお思います。今後は、私が上越教育大学に勤めていたことを知らない人が増えるでしょう。
私自身はあと十数年は消える予定はありませんが。
追伸 私の商品価値のうち「上越教育大学教授」が占める割合は1%もありません。上越教育大学教授でいただいた仕事は0.1%もありません。
『学び合い』 誰一人見捨てない教育論
嬉しい連絡が来ました。「『学び合い』 誰一人見捨てない教育論」(明治図書)https://amzn.to/3OBKI3p )が3刷になりました。
私の本の多くは、これから『学び合い』を実践しようとする方が失敗なく、あるレベルの実戦を可能とするノウハウ本です。しかし、この本は、いわゆるノウハウ本ではありません。つまり、この本を理解したい、理解出来る方々が既に一定以上いることの証左です。
『学び合い』実践の層の厚みを実感します。
まだお読みになっていない方は、是非、お読み下さい。