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 私はゼミ生に対して権力は無いことを宣言します。具体的には、「年間150時間の実習に行く。単位相当の日数ゼミに参加する。最終的に学習成果発表会で学習成果を発表する。その質は実質上問われない。何故なら、そこそこやれば、あえて落とすことを合理化することは困難で、事実上不可能。上記を満たせば、私が君たちに悪意と怒りを持っていても何も出来ない」と言います。

 実はゼミ生に語る以上に、自らに対して再確認するのが目的です。

 私はゼミ生に対して命令はしません。全く。提案することはありますが、非常に希です。年間に有るか無いかのレベルです。ゼミでは『学び合い』に直接関わる質問は希です。その多くは「西川先生は」で始まる質問です。それに対して「私は○○している。理由は○○」のように応えます。その返答は一貫しているので、やがてゼミ生の中に「ミニ西川」が生まれます。そのようなゼミ生が有機的に繋がっているので、私があれこれ言う必要性はありません。その結果として、私のあずかり知らないところでゼミ生集団が全てを運営しています。

 だから、「西川先生は何もしないのに、西川ゼミはうまくいっているのは何故ですか?」という質問が、他ゼミから異動したゼミ生から質問されます(もともと西川ゼミの学生は、西川ゼミの文化は空気のように普通になってしまいますから疑問に持ちません)。それを受けて、「俺は何をやっている?何もしなくてもうまくいくわけないよね」と質問しても、ゼミ生は応えられないのです。

 こんなクラス経営を書いた本を知りません。次の本では、それを書きます。

マインドセット

 教師の働き方改革の文科省の素案は、馬鹿馬鹿しくて詳しく読む必要性を感じません。しかし、給特法の抜本改革を求める識者のご意見も、「それをしても変わらないだろうな」と思います。まあ効果があるのは、都道府県教育委員会を独立行政法人にして、どんどん労働基準局が入れば変わります。不夜城だった国立大学付属学校が変わったのは、国立大学が独立行政法人になったので労働基準局が入るようになったからです。

 でも、もっと良いのは、教師のマインドセットを変えることです。方法は簡単です。勤務時間が終わったら、即帰れば良いのです。超勤4項目によって、勤務時間外の勤務を校長が命令できるのはかなり限定的です。「そうは言っても、仕事が終わらない」と言うでしょうね。そこが間違っています。勤務時間でこなせる仕事が、適正な仕事量なのです。

 勤務時間における仕事は何をしたら良いのでしょうか?是非、学校教育法の本法、施行令、施行規則をお読みください。本法には「教育をつかさどる」とだけ書かれています。施行令施行規則には定めはありません。

 「教育をつかさどる」とは何でしょうか?それは勤務時間内に学校にいて、学習指導要領に反しない授業をしていればいいのです。校長が教育の内容・方法を助言することは可能ですが、法・条例の定めにない内容・方法を命令は出来ません。学習指導要領を読めば、曖昧ですのでそれに反する教育とは、教師の政治信条を露骨な授業ぐらいしか思いつきません。事実、過去の判例もそのような授業に限られています。ましてや、勤務時間外の勤務が必要な内容・方法に妥当性はありません。だからしなくても何ら問題はありません。

 追加ですが、校長からの業務命令には従わなければいけませんが、それが出来なくても懲戒の対象にはなりません。みなさんの過去には「とんでも教師」がいたと思いますが、これがあるからなかなかクビにならないのです。

 従って、校長を恐れる必要性は全くないのです。恐れるとしたら同僚集団です。これも、勤務時間の時に挨拶をして手伝っていれば良いのです。そして、同僚に影響のある部分を優先すれば良いのです。つまり、自分の授業は出来る範囲で良いのです。

 以上のようなマインドセットが必要なのです。

 おそらく、極端な、と思われる方が多いと思います。しかし、私に迷いはありません。

 理由は以下の通りです。

 第一に、我々が優先すべきは教え子ではなく、我が子です。

 第二に、教師が時間をかけていることによってメリットがある子がそれほどいないことを知っています。なぜなら、子どもという子どもは一人もいないからです。

 第三に、勤務外の勤務によって成り立っており、それが子どものためだと思っている教師は、教え子にブラック勤務は当然だと言うことを伝えることです。

優先順序

 オリンピックまで1ヶ月です。が、まったく興味を持てません。これはありとあらゆるスポーツの広域の大会に対して同じです。理由を説明します。

 私が一番大事にするのは、私と家族の幸せです。

 赤の他人が世界1位になることが、私の幸せ、家族の幸せに関係しますか?まあ、関係ないですね。もちろん、テレビで放映される短期間は関係するかもしれませんが(私は見ませんからどうでもいいですが)。むしろ、小学校、中学校の息子が頑張っている試合の場合のほうが意味があります。でも、それすらも一瞬の意味しかありません。

 私は都道府県レベル以上の大会には意地でも見ません。なぜならば、そこには利権があり、庶民を搾取する仕組みがあるから成り立っているからです。

 反発は多いし、攻撃の対象になるかもしれませんが、高体連、中体連は解体した方が良いです。もっと正確に言えば、学校単位で参加するのではなく、有志の団体のとりまとめになればいいのに。

 我々は一番大事にすべきものは何かを理解すべきです。それ以外の喜びを否定しませんが、それを選択し、優先順序を考えるべきです。

追伸 教員採用試験の勉強すべき学生が、それ以外のことをやっているのをみていると、「まあ、痛い目に会えば分かるかな。でも、こいつは繋がる仲間を今得ている」と思ってみています。

未来

 個別最適化した今後の教育において、従来指導型の生き残る余地はない。紆余曲折するかもしれないが、そのの時代の教育には『学び合い』しかないと思います。それを拒否すれば、最終的には選択されなくなる。ようは、よい部活の顧問になれば良いのです。