私はゼミ生に対して権力は無いことを宣言します。具体的には、「年間150時間の実習に行く。単位相当の日数ゼミに参加する。最終的に学習成果発表会で学習成果を発表する。その質は実質上問われない。何故なら、そこそこやれば、あえて落とすことを合理化することは困難で、事実上不可能。上記を満たせば、私が君たちに悪意と怒りを持っていても何も出来ない」と言います。
実はゼミ生に語る以上に、自らに対して再確認するのが目的です。
私はゼミ生に対して命令はしません。全く。提案することはありますが、非常に希です。年間に有るか無いかのレベルです。ゼミでは『学び合い』に直接関わる質問は希です。その多くは「西川先生は」で始まる質問です。それに対して「私は○○している。理由は○○」のように応えます。その返答は一貫しているので、やがてゼミ生の中に「ミニ西川」が生まれます。そのようなゼミ生が有機的に繋がっているので、私があれこれ言う必要性はありません。その結果として、私のあずかり知らないところでゼミ生集団が全てを運営しています。
だから、「西川先生は何もしないのに、西川ゼミはうまくいっているのは何故ですか?」という質問が、他ゼミから異動したゼミ生から質問されます(もともと西川ゼミの学生は、西川ゼミの文化は空気のように普通になってしまいますから疑問に持ちません)。それを受けて、「俺は何をやっている?何もしなくてもうまくいくわけないよね」と質問しても、ゼミ生は応えられないのです。
こんなクラス経営を書いた本を知りません。次の本では、それを書きます。