■ [親ばか]湯船記念日
息子と風呂に入りました。息子が湯船から洗い場に出ようとしています。いつもだったら「無理だ」ということで、息子をだっこして出します。今日は、やらしてみようと思いました。案の定、足が届かないのに無理に出ようとしているので、金○(我が子は男です)が湯船の縁に当たりながら一生懸命に出ました。しかし、出ました。これからは息子が出たいというときは自分で出そうと思いました。
生まれてからしばらくは、新生児用の桶を台所に置き洗いました。しばらくし、首の据わらぬ首を手で押さえながら風呂に入れました。ちょっとで壊れそうでドキドキでした。5年弱がたち、 かなり「雑」に扱っても大丈夫になりました。そして、今日、また一つ進歩しました。生まれてから息子を風呂に入れるのは私の仕事です。毎日の仕事です。考えれば二千弱回お風呂に入れたことになります。ふと思いました。私の記憶にある父・母と一緒に入った記憶は母親と1回だけだと思います。そして、その記憶は小学校低学年(おそらく1年生)だと思います。それ以降は一人で入っていました。ということは今までの二千回の私と一緒に入った記憶は、息子に残らないのだろうな~と思いました。でも、私の記憶には、死ぬ瞬間まで残ることは確かです。
■ [親ばか]プレステ復活
息子が生まれる前は、テレビゲームにはまっていました。「クラッシュバンディッグー」とか「サルゲッチュ」なんか大好きでした。自宅に帰ってからは、暇な時間はそれをやっていたように思います。冷静に考えれば、そのゲームをクリアーできるか出来ないかは、私の人生に意味がないことはよ~く分かっていました。でも、それにもかかわらず、はまっている自分を自己分析しながら、学習意欲の意味を考え、当時の教師用雑誌に書いたように思います。ところが、息子が生まれて、そんな暇はありません。プレステを封印しました。その時思ったのは、プレステのバージョンアップしたプレステ2がバージョンアップしたプレステ3が発売するころになれば息子は小学生中学年ぐらいになり、そのころになったらゲームも出来るかな~、と思いました。
息子の誕生日プレゼントを何をしようか色々考えました。息子は「プラレールピコ」が欲しいといいます。でも、それでは一人っきりでのめり込みそうです。出来れば、他の子どもと一緒に出来そうなものは無いかな~と思いました。夫婦で考えたのは、プレステ2のソフトでたたくソフトです。そこで、本日、3万円弱のワンセットを買いました。実は、私も家内もそのソフトをやりたいな~という気持ちもありました。意外にも早くプレステ復活です。早くやりたい気持ちがありますが、息子の誕生日まで封印です。息子と一緒にやるときに復活です。
■ [発見]学習臨床
上越教育大学の改革のキーワードは臨床です。全学で臨床を目指すときに学習臨床の意味が問われました。
従来の教科領域が臨床にシフトして教科臨床になるとき学習臨床の独自性は何かを教科領域の人たちから問われました。当時、学内政治の場でそれを応える立場だった私は、「教科臨床は特定の教科を学ぶ子どもや教師をじっくり見る研究を進める。それに対して、学習臨床は教科を横断した教科学習を学ぶ子どもや教師をじっくり見る研究を進める。」と説明しました。
実は私は残念に思っていることがあります。学習臨床に入学する院生さんの中に、「教科臨床」のレベルにとどまっている方が少なくないように思います。心の中では、「そんなんだったら教科領域に入学すればいいのに」と思います。 もちろん一つの教科を対象に研究したから教科臨床だというわけではありません。その教科を研究対象としても、そこから引き出そうと思うものが教科学習に普遍的なものをねらっていたならば学習臨床です。一方、その教科特有、さらに言えばある単元特有のものを引き出そうとするならば教科臨床です。一方、教科学習を全く意識していないならば、既存の教育学・心理学と異なりません。でも、学校教育の圧倒的大多数は教科学習なんです。教科を横断した教科学習の研究があり得るという考え方が学習臨床の基本だと私は思っています。少なくともそう考えないと、学習臨床コースの独自性は無いはずです。
一方、学習臨床の学部学生さんの方は逆の状況です。学生さんは教科に拘らないことを求める学生さんが多いように思います。なんでそんな違いが生じたのか考えました。学部学生さんは教科領域ではなく学習臨床を選びました。教科に拘るならば教科領域いくべきだなのに、学習臨床を選びました。学部学生さんは何となくコースを選ぶということはありません。熾烈な競争の中でそれを選びました。 失礼ながら、学部学生さんの真剣さでコース選びをした人がどれだけいるでしょうか?院生さんにはそれがないように思います。なんとなく学習臨床を選んだのではないのかな~。誤解かな~。
追伸 まあ、気持ちは分かります。私だって、理科コースから学習臨床コースに移動した当時はドキドキでした。そして、理科を専門としない学生さん、院生さんを研究室に受け入れるときは不安でした。でも、しばらくすれば教科の障壁なんて「へ」みたいもんだということも分かりましたし、それを越えるものが、いかにすばらしものかも分かりました。ルビコン川は小川ですが、それを越える越えないかは大きな違いです。越えられたからシーザーは数千年の歴史を越えて記憶されたんです。