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2005-07-31

[]専門家の力 11:08 専門家の力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 専門家の力 - 西川純のメモ 専門家の力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、前期の課題のレポートを読んでいます。読むと色々ですね。明らかに手抜きと分かるものから、「ありゃ、修論の構想じゃないかな?」と思われるような大作まで色々です。いずれにせよ、色々なことを学べます。その中で、音楽の指導に関して、意味深い指摘を受けました。その指摘とは、専門家が教師主導でしっかり指導することの意味はあるのではないか?という指摘です。指摘では、音楽の専門家が音楽をしっかりした指導を行ったとき、高い達成度を実現し、かつ、「生徒たちの目が輝いている光景に出会い驚いたことは少なくありません。」とあります。

 分かるような気がします。合唱や器楽のコンクールに常連の先生というのはいるものです。その先生が異動すると、その学校がコンクールに優勝するようになると言う、名物先生はいるものです。それは、スポーツでも同じですし、実は、科学の世界でも同じです。そのようなことから、「やはり専門家の指導は重要だ」と思われる人は少なくないと思います。そこで、以下のようなコメントを送りました。

 『蛇足ながら、コメントを書きます。

 専門家の有効性の部分です。専門家の有効性はよくわかります。実は芸術だけの問題ではありません。数学や自然科学も同じなんです。二流、三流の研究者ではなく、一流の研究者の場合、それは芸術に近いものがあります。言葉に表せない部分が多いんです。二流、三流の研究者は、一流の研究者が言葉にしたものを使って研究できます。ところが、一流の研究者は他人様ではなく、自分が言葉にしなければならないんです。無から形あるものを作る過程は芸術に近いものがあります。だから、一流の科学者・数学者を育成するためには、一流の研究者のそばで、その息づかいを感じることが大事なんです。だから、分かります。

 でもね。考えてください。我々が育てようとしている人、学校教育で育てようとしている人は、そんな人でしょうか?実は一般人なんです。私はその道のプロを育てる教育を否定するわけではありません。しかし、その教育と一般人を育てる教育が矛盾するならば、公立の義務教育の教師が選択するべきものは決まっているはずです。「生徒たちの目が輝いている光景に出会い驚いたことは少なくありません。」とあります。たしかに、その子たちはそうかもしれません。でも、それから脱落した子はいるのではないでしょうか?絶対にいるはずです。その歪みを私は感じます。プロの世界では、駄目な奴を切れます。そういう世界です。でも、学校教育は違います。

得手、不得手、好き、嫌いがいます。それらを包み込むには、一人の教師の一つの方法論ではなく、多種多様な選択肢を与え、彼ら自身に選ばせるしかないと、私は信じています。』

 それに対するレスをいただきました。心ある先生ですので、直ぐに分かっていただきました。その先生が、現場で自分なりの答えを出してくれることを確信しています。