■ [大事なこと]誠意
『学び合い』の熱意と、感謝の形との関係を再確認しました。両者は一致します。
もちろん、感謝の形は色々です。でも、笑い話みたいな話もあります。
講演して帰り際に、笑顔でクッキー一つ渡されたこともあります。
また、飲み会に呼ばれることは少なくないですが、飲み会には本性が現れます。『学び合い』に関する気持ちが分かります。全ての人が『学び合い』に熱意があるなんて思っていません。そんなの変です。でも、飲み会に参加する人の中での『学び合い』の熱意のある人の割合は一般の割合よりもかなり高い。『学び合い』の次に進めたい人が多くあるはずです。ところが、そうでない場合は、自分たちの飲み会にたまたま呼んだということが明らかです。はては、管理職や中心人物が単なる酔っぱらいになって、絡むなどが起こるなどは論外です。そういう所に限って、「金はありませんが、熱意はあります」ということを言うところです。
教頭先生や研究主任の姿で色々なことが分かります。管理職が乗り気であっても、本気でなければ、それは日常の言葉に表れます。そして、それを長期間接している人は正確に見取ります。管下の職員はそれに従うか、否かは当たり外れはあります。でも、教頭先生や研究主任は校長の心をかなり正確に表すことが出来ます。もちろん、校長のカーボンコピーである必要はありません。でも、校長が本気だったらば、ちゃんと考えるはずです。校長が本気であれば、教頭や研究主任がエヘラエヘラになるはずはありません。
私は、集団の見取りを専門としているのです。職員集団の動きで、色々と分かります。その私を騙せると軽く思われると、本気でムカムカします。芸人として呼ばれたならば、芸人のパフォーマンスをしっかりします。ところが、同志として呼んで、本心は芸人だったとき憤りを感じます。それを5年ぶりに感じました。
が、今回のツアーでは涙が出るほど、感謝することが多かったです。小さい『学び合い』の会になると思ったのに、多くの人に出会えました。飲み会だけでも、私と話したいと参加してくれる人もいました。
休みにもかかわらず職員の多くが『学び合い』の会に参加し、発表してくれる学校もありました。翌日は、多くの地域の学校に素晴らしい姿を自主公開で見せてくれました。校長とはその学校とホテルとの間、ずっと馬鹿話をしながら楽しく過ごせます。
数ヶ月前に出会って、手本を紹介してからの学校がありました。ところが、短期間で凄いレベルに達しています。それは先生方の出す課題のレベル、質問のレベルで分かります。校長はじめとする先生方の本気度が分かります。そこに近隣の学校(Aとします。)の先生方が大挙しておいでにいただきました。その学校は先月お邪魔した学校です。本気だったんだ~・・・と感じると嬉しくなります。
市教育委員会の小さい会がありました。が、その市以外の多くの先生方が参加いただけました。議会で忙しい教育長が途中から私の話を聞いて、時間を割いて私と話してくれました。
『学び合い』の大推進派の校長が学校を巻き込んで学校作りをしました。次を次いだ校長先生はビックリされたでしょう。でも、職員と子どもの姿を見取り、学ぼうとして他校の実践を学ぼうとしています。その校長の明るさが学校に見とれます。
古くからの同志が校長の学校に行きました。楽しかった。その学校の推進役の先生とだったら、ま、3時間は馬鹿話を出来そうな気がします。あらゆる面で大変な時期なのに、あらゆる面で配慮していただきました。
最後はその学校で活躍すべき、出来る職員を私の所に託してくれた校長がいます。多くを語る必要性はありません。出発するとき、堅くハグして分かれました。最初にあってから2年もたっていません。そこでは、多くの優れた行政の方々に会うことが出来ました。その研修会に先のA学校の先生が多数参観されています。何人かの先生と話しましたが、私への質問のレベルが並ではない。凄いとお思いました。
「人の世の幸不幸は 人と人が逢うことからはじまる よき出逢いを」と相田みつをは書いています。それを感じます。多くを学べたツアーでした。
■ [嬉しい]大平山小学校
昨日は別府の大平山小学校に行きました。なんかホームっていう感じです。校長先生と話していると、馬鹿話が終わりません。職員集団の中で『学び合い』へのスタンスは様々です。それは授業をちらりと見れば明瞭です。でも、方向は同じ方向を見ています。それは明らかです。
今後が楽しみです。我がゼミ生はこの学校に入っています。あるミッションを与えました。それは地域コミュニティーの再生の第一歩です。簡単なことなのですが、全校『学び合い』と同様に、やってみないと、それが簡単であり、可能性は大きいことが分かりません。ようは、バンジージャンプで一歩を踏み出すか否かです。もし、踏み出せば、確実に『学び合い』の次の次元に踏み出した最初の学校になるはずです。
■ [嬉しい]同志
近畿、中国、九州という一連のツアーを終え、昨日、飛行機で東京に着きました。本日中に家族に会えます。
嬉しかったのは、同志同士がどんどんつながっていることを感じました。小学校、中学校、高等学校の教師がごく普通に話し合える。教科が違う中学校、高等学校の教師がごく普通に話し合える。違った学校の教諭と校長がごく普通に話し合える。いや、教師以外の様々な方々と話し合える。
同志同士だと、話し出せばすぐに分かる。互いが「子どもの幸せ」という共有の言語を持っているから。そして、『学び合い』における子どもの姿は、学校段階、教科を超えて同じだから。
同志の方々へ。積極的に他県の『学び合い』の会に参加し、他県の同志の授業を参観し、他県の同志と子どもの話で盛り上がりましょう。
皆さん、『学び合い』のセオリーは普遍性が高いことを思い出してください。みなさんの教室で、職場で、親しい人たちが固定的に学び合っていたら、それは何を意味するでしょうか?そして、どうなるでしょうか?そして、どうするべきでしょうか?自明だと思います。ならば、「今」行動しましょう。