■ [大事なこと]評価
今の教育では、総合的な能力を分解して、それを評価します。それが皆高ければ、総合的な能力は高いと判断します。例えば、教師の職能を、発問、板書、教材・・・と分けて、さらにそれぞれを細分化し、それを評価する。しかし、それが皆高い教師が優れた授業をするとは限りません。部分の総和は全体ではないのです。
アクティブ・ラーニングもそうですね。主体的・協働的に学ぶ学習であるから、主体性と協働性を分けて、さらにそれを細分化し、それを評価することをするでしょう。それを精緻にすればするほど、アクティブ・ラーニングから離れると思います。あたかも、精緻な教員の職能評価のように。
では、どうやって評価したらいいでしょうか?
細分化せず、最終的なアウトプットで見ればいいのです。
アクティブ・ラーニングとは結局、今後の雇用社会において生き残れる人材育成なのです。考えてみて下さい。企業が能動的テストや協働的テストを入社試験にすると思いますか?私が人事担当だったら、5人の入社希望者を一室にいれて、「核戦争後に備えて我が社はどのような販売戦略を立てるか」のような答えのない無茶苦茶な課題を与え、それぞれの言動を観察します。そして、自分の机の横に座って欲しいと思う人を「一点刻みの公平性」ではなく、公正に基づき選びます。
一流大学、一流企業の幹部候補生はそのように選別されます。
結局、アウトプットなのです。ことさら課題が能動的である必要も無いですし、協働的である必要はありません。現在の一斉指導のくびき、つまり、立ち歩いては駄目、相談しては駄目の禁止を解けば、テストの点数で評価できます。
能動性や協働性を単独に測定し、テストの点数に加算すれば、やったふり能動性、やったふり協働性が生じます。能動性や協働性はいくらでもふりが出来ます。しかし、アプトプットはふりは出来ません。そして、能動性や協働性を10点の加算点を与えれば、子どもは能動性や協働性を10点ぐらいの価値と思います。ま、そもそも10点加算すると考える教師自身が、そう思っているから加算するのです。
つまり、ことさら能動性や協働性を評価する必要はありません。
ただし、『学び合い』のアクティブ・ラーニングの場合、テストの平均点よりその分散を重視すべきです。
それにしても、物事を小分けにして、それを総合するという方法論はもともとデカルトの方法論です。その方法論によって物理学は17世紀から20世紀前半に大躍進しました。しかし、生物学が発展した二十世紀後半以降の方法ではないと思います。
物事を小分けにすればいい、という方法は有効ですが、それが万能だと思うのは、前時代的だと思います。
■ [大事なこと]劣化
ありがたいことに、私以外の方々が『学び合い』の本を出すようになった。今後も広がるでしょう。それを読みながら、自分の役割はあと2年かな、と思うのです。私は研究者です。それも最先端の研究者であり続けようとしています。つまり、イノベーター相手、アーリーアダプター相手の人です。今、広がっているのはアーリーアダプターです。そして、ギャズムを超えてアーリーマジョリティが広がりつつあります。この市場は、私より素晴らしいライターがいます。
私は一般性、原理原則を求めます。これはイノベーターやアーリーアダプターには重要です。しかしアーリーマジョリティは、直ぐに使える、確かに使えるを求めます。これの原理原則に関しては私で対応出来ます。しかし、市場が広がり、個別的な事例を必要となれば、今、現場経験のある方々に勝てない。おそらく、原理・原則から離れるでしょう。でも、それでいいと思います。しっかり原理・原則が理解したイノベーターとアーリーアダプターがいれば。私の仕事は、このコア層を固めることと、多くの方々がアーリーマジョリティ向けの本が書けるような市場を育成することだと思います。
で、私はどうするか。二つです。楽な生活に移行するか。もう一つは、教育内容に切り込むか。ま、両者の混合が妥当なところなのでしょう。
*[お誘い]東信の会
9月26日に『学び合い』東信の会があります。お誘いします。