■ [大事なこと]公平
鍋ちゃんの「欲しい学生を採用する、ということに尽きるでしょうね。その選抜者集団(企業や大学など)ごとの基準があれば良いわけで、そこに他の人間が抱く客観性や公平さなどは不要かもしれませんね。そもそも採用することで、その選抜者集団は被選抜者を自分たちの中に受け入れるわけですし、リスクも背負って採用するという覚悟をもつということでしょうから。っていう発想は駄目?(笑)」という大学入試に関するFBのコメントが秀逸だったのでここに紹介します。
この感覚はいままでの日本の入試には無い感覚です。そして、アイビーリーグの入試方法を知ったとき、実に新鮮だった部分です。
アイビーリーグの入試は「依怙贔屓」、「縁故合格」を胸を張ってやっています。レガシーという制度で卒業生の親族を優先的に合格させるのです。それを大ぴらにしています。理由はそれによって、その大学の文化を継承すると共に、経済的な支援を期待できるからです。
また、多様性を維持するために、合格者のかなりの割合を人種に基づき優先合格させています。理由は、それによって自国にいながら国際感覚を持った人材を養成できるからです。
つまり、大学にとっての意味を説明できれば公平である必要は無いのです。
これからの厳しい戦いで生き残ろうとする大学は、差別化した入試をするでしょう。
もちろん、横並びの入試をする大学が大部分です。でも、同じ速度で自滅します。早めに自滅する大学によって「ニッチ」が生まれ、少し楽になります。でも、安定状態になるまで横並びの我慢比べをするのです。
■ [大事なこと]読み方
すみません、多くの教員には全く関係ない話です。
教員養成部会は一定の結論を出しました(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/002/siryo/1363052.htm)。この手の文章を読んで何が大事かを理解するには色々なことを知らねばなりません。そして、多くの大学人はそれを知りません。
色々なことを書いていますが、大抵は逃げ道があります。そして、それで逃げて「な~んちゃって」になります。
私としてはこの答申の中で、教科の科目と教科教育の科目の分け目がなくなったことが影響力があると思います。ただし、それがどれほどのものかは、教育職員免許法の別表のが露わにならないと分かりません。下手すると、教科教育学が壊滅します。
が、方向としてはそうならないでしょう。怖がるべきは教科科目担当者です。それがわかるためにはいくつかの基礎知識が必要です。
1)教科科目担当者は業績を求められません。が、教職科目担当者は業績を求められます。さて、求められる業績は何か?です。もし、教科科目担当者が教職に関する業績を求められたら圧倒的大多数は通りません。つまり、授業が担当できなくなります。つまり、「くび」になります。私立でよくあるのは事務職になるのです。まあ、大学の紀要を書いて逃げる人もいるでしょう。問題は新規採用が出来なくなるのです。例えば理学部博士課程の人が教育の論文を書くことは考えられません。
さて、どうなるか。
その他、ちょっと知っていると、怖い一節が色々なところにあります。
■ [大事なこと]勝ち組
東京大学の推薦入試の応募者が173人だけだった。応募条件が厳しいと言われている。でも、それは違うと思います。今後のトップ大学の方向性を分かってない学校ばかりだと言うことです。
推薦入試の合格者の学校一覧は手に入れられないかな~。
それが今後10年間の勝ち組学校だから。