■ [大事なこと]組織人

採用試験の時、面接をした人にインタビューすれば現状の採用試験の課題が何かがハッキリします。きっと思いの丈を語るでしょう。ま、しないだろうと思います。採用と分限を判断する部局が違いますから。つまり、だれも責任をとらない。きっと、その問題点を理解している人は採用する責任者も分限を判断する責任者もわかっています。わかっているけど、今の仕事をやらざるを得ない。私には出来ないことをする組織人です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000069-mai-soci
■ [大事なこと]何故

本日、ある先生と今後の教員養成系大学・学部の将来を議論しました。私は根拠に基づいてどうなるかを語りました。そうしたら「教員養成の学問の将来は無くなってしまいます」と言いました。それに対して以下のように語りました。
「そもそも教員養成のための学問をやっている教員が何割いる?当人がそうだと思っている人は多いけど、実際に教育現場の人がそうだと思っている人は何割いる。そんな現状だからどんどん削られてしまっている。もし、大学の教員が金を払っても呼ばれて講演を依頼され、教員が読むような本をどんどん出していたとしたら教員養成系大学・学部は安泰だし、発展するよ。
でも、現状の責任は大学人だけにあるわけではない。結局、学校現場が個人的な経験でなんとか出来るレベルのことで過ごせるからだよ。もし、医者が最初の5年ぐらいは勉強するけどそれ以降勉強しないとしら。個人的経験で診断し治療したら大変なことが起こってしまう。だから、医師養成教育は組織的になり、削減の嵐に遭わない。天に唾することだけど、学校現場は大学教育に期待していない。結局、現場で学ぶしか無いと思っている。そして、相手にされていないから大学人は自分のやっていることを自由勝手に教員養成のための学問だと主張している。」
もし教員が終身雇用ではなく、NRTの成績が悪い場合は解雇されたとしたら。
どの学校、どの教員のクラスに所属するかを子どもや保護者が決めて、0人だった場合は給与は0になり、数年、それが続いたら解雇されるとしたら。
そうしたら、教員養成系大学・学部は変わります。医学部のように。
おそらく、多くの教師は上記に反発するでしょう。そして、妥当な理屈を考えるでしょう。しかし、その理屈はビジネスパーソンには戯言と聞こえるでしょう。なぜなら、上記のことはビジネスでは当然のことです。例えば個人商店、ラーメン屋もそうです。多くの人はその中で生きているのですから。
学校が何故、そのような別天地にいるのでしょうか?
それは社会が学校に何も期待していないからです。あたかも学校現場が大学に期待していないようにです。だから、教員は自分のやっていることを自由勝手に子どもの成長のためだと主張できるのです。
はじめは大学が焦り始めます。次は高校、次は中学校、次は小学校。それも、いままでの既得権益を大きく持っている偏差値の高いところが、その既得権益を守ろうとして最初に焦ります。
教育の世界で流れている情報の多くは「戯言」としか私には読めませんし、聞こえません。学術的根拠も無く、いままでそうだったという理由だけで万古不易のように言う人。既得権益を守ろうと言葉遊びに興じている人。それは沈没船の中で責任の所在を議論している人のようです。
残念ながら私は管理者ではありません。だから「一人も見捨てない」とはいえません。私はボートをより多く用意して、一人でも多くの人を救いたい。そして、次の時代に教員養成のための学問の学灯をつなげたい。